酒場の風物詩と、小さな違和感
夕暮れ時の大衆酒場。引き戸を開け、ガヤガヤとした熱気の中に滑り込み、カウンターの椅子に腰を下ろす。
上着を脱ぐか脱がないかのうちに、店員さんが「お飲み物は?」と聞きにやってくる。その瞬間、店内のあちこちから同じ言葉が聞こえてくる。
「とりあえず、ビールで」
酒場では馴染み深い、いつもの光景だ。
しかし昔から、この「で」というたった一文字が、私の頭のどこかにずっと引っかかっていた。
「で」という言葉には、どこか消去法のようなニュアンスが漂っていないだろうか。
「本当は他に飲みたいものがあるかもしれないけれど、場をスムーズに回すために『で』にする」「一番早そうだから『で』にしておく」そんな妥協や諦めが含まれているような響きだ。
一日の仕事を終え、ようやく辿り着いた酒場で過ごす時間。
そのスタートを切る最初の一杯が、そんな消去法で選ばれてしまっていいのだろうか。
一杯目の飲み物は、本当はもっと意思を持ったものであってもいいはずだ。
あの「とりあえずビールで」という言葉は、一体どこからやってきて、なぜ私たちの身体にこれほど深く染み付いてしまったのだろう。

「とりあえず」が生まれた背景
少し遡れば、この「とりあえずビール」というスタイルは、業務用ビールサーバーの普及や大人数での宴会文化の中で定着したと言われたりもする。
大勢で店になだれ込み、全員がバラバラの注文をしていては乾杯までに時間がかかる。
そこで、注文すればすぐに出てくる生ビールで集団のペースを合わせる。
ビールは、酒場の熱量を最速で一つにするための合理的な共通言語だった、というわけだ。
そう考えると、あの「で」という一文字の裏には、先人たちが酒場で見出した一種の知恵や機能美のようなものが詰まっていたのかもしれない。
編集長の一杯目に対するこだわり
歴史的な背景は納得できる。
しかし、飲み方の多様化した現代の酒場において、一杯目の選び方はもっと自由でいいはずだ。
我が『bacchante』の編集長と飲みに行くと、彼女の一杯目へのこだわりにはいつも感心させられる。
「今夜は飲みに行こう」と決めた瞬間から、彼女は意識的に水分を摂らない。
店に到着するまでの間、乾いていく喉をあえて放置して暖簾をくぐり抜けるのだ。
個人的には身体を心配してしまうのだが、本人の真剣な目つきを見ると、こちらも余計な口出しはできない。
そして席についても、すぐに「生ビール!」とは頼まない。
彼女がよく選ぶのは、芋焼酎のソーダ割りだ。
一杯目にもかかわらず、「ちなみに芋の銘柄は何がありますか?」と店員さんにしっかり尋ね、真顔でじっくりと吟味する。
渇いた喉をなだめつつ今夜の相棒を決め、運ばれてくるとグラスの結露を愛おしそうに眺めながら、一口目を「うまい……」と噛み締める。
彼女にとって一杯目とは、自らのコンディションを整えて臨む丁寧な儀式のようなものなのだろう。

喉を駆け抜ける、僕の「ビール『が』いい」論
編集長のようなこだわりを横目で見つつ、私自身はどうなのかと言えば、やっぱり「ビールが」いいのである。
「で」という消去法ではなく、明確な意志を持った「が」だ。
私の場合、店に入った瞬間にはもう、喉が炭酸と苦味を求めている。
そこに運ばれてくる、冷えたジョッキ。注がれた黄金色の液体と、白い泡。
それを目の前にしたとき、もはや複雑な味わいの分析や、食材との繊細な相性なんてものはどうでもよくなってしまう。
カラカラに乾いた喉に、強炭酸と冷気、そしてホップの苦味を一気に流し込む。
ゴクゴクと喉を鳴らし、最初の一口でジョッキの半分近くを飲み干す。
ふはぁーっと大きな息を吐き出す瞬間、脳の奥がじんわりと解き放たれるような感覚に包まれる。ビールそのものの味わいを楽しんでいるというよりは、冷気と炭酸が喉を駆け抜けていく「現象」そのものを楽しんでいるのかもしれない。
定番と言われようが、やっぱり「これが」いいのだ。喉を鳴らして飲むビールに勝るスタートダッシュは、私の中には存在しない。

「おいしさ」は液体の中だけにあるのではない
こうして自分や編集長の一杯目を振り返ってみて、ふと気づくことがある。
一杯目のビールのおいしさは、ビールという液体の中だけに完結しているわけではないのだ。
カラカラに乾いた喉の渇き、一日の仕事が終わった解放感、店に無事着いた安心感、グラスが触れ合う音、そして「これから飲むぞ」という高揚感。それらすべての要素が合わさって、一杯目のビールを圧倒的に美味しくさせている。
もし、まったく同じビールをエアコンの効いた部屋で、喉も乾いていない真っ昼間に静かに飲んだとしても、あの酒場の一杯目と同じ感動は生まれないだろう。
私たちはビールそのものの味だけではなく、その一杯を巡る状況や気分、そして空間の空気まで含めて味わっているのだ。

一日をまるごと飲み込む
たまには気分を変えて、一杯目に徹底的にこだわってみるのも面白い。
冷えた純米酒をグラスで静かに傾ける夜もあれば、生搾りグレープフルーツサワーのキュッとした果汁感でスタートしたい日だってある。あるいは、疲れ果てて何も考えられず、「とりあえずビールが!」と雑に叫んで始まる夜だって最高だ。
結局、一杯目のビールがうまいのは、ビールだけがうまいからではないのだ。その一杯に辿り着くまでの一日まで、一緒に飲み込んでいるからなのかもしれない。
「で」でも、「が」でもいい。
さて、今夜はどんな一日を飲み込もうか。
文=山本龍成