アルコールの摂取量と、酔っているかどうかと、それが良い酔いなのか悪い酔いなのか。連続性はあれども、比例はしないなと思う今日この頃です。
たくさん飲めばおおいに酔う。これはまあ、概ねそうでしょう。そりゃ、そう。
しかし、たくさん酔ったからといって悪い酔いになるとは限りません。翌朝ほとんど何も覚えていないけど、断片的に残る記憶のすべてが愉快で、財布と携帯と身体が無事なら、いやあ昨日は良かったなあ、なんてこともあります。
逆も然り。
たいして飲んでいない。記憶もある。まっすぐ歩いて帰った。それなのに、なんだか嫌な酒だったな、というしょうもない夜。悪酔いはしてないけど、悪い酔いです。
つまり「どのくらい飲んだか」と「どのくらい酔ったか」と「どんな酔いだったか」は、どうも別々に考えたほうがよさそう。何を今さらという話ではありますけれども、ふと改めてそう思ったのです。
一緒に飲んでる人がどのくらいどんなふうに酔っているかも、自分の状態によくもわるくも影響してきます。
歩みをそろえて酔いの階段を登っていくのが楽しいわけですが、いきなり猛烈ダッシュで置いていかれると、あらら付いて行けませんでした、となる。
逆にこちらが気付いたら1人で走っていた、という夜もあります。気持ちよく階段を駆け上がっているつもりが、ふと周りを見渡すと誰もいない。これはたいへんよろしくありません。
酒を飲む速度なんてものは人それぞれですから、同じ量を同じ速度で飲みましょうという話ではもちろんありません。ビール一杯で陽気になる人もいれば、焼酎を何杯飲んでも顔色ひとつ変わらない人もいる。飲んでないのに、酔っ払いのテンションの人だっています。
それでも不思議なもので、良い飲み会というのは、飲んでいる量はバラバラだとしても、なんとなくみんなが同じあたりにいるような、そんな夜を指すのでしょう。
酒の絶対量ではなく、酔いの歩幅がそろっている、とでもいいましょうか。反対に、誰か一人が急に駆け上がったり、急降下したりすると、その人だけではなく、その場そのものの酔いまで変わってしまう。なんか醒めちゃったわね、という経験、一回や二回はありませんか。
良い酔いというのは、自分一人の体内だけで起こっているものではないのでしょう。などと申しておりますのも、ここ数日のわたくし、どうもこの歩幅を合わせるのがたいへん下手くそなのであります。良い酔いを導くはずの著者がみっともない!
などとくだをまきつつ、本日は迎え酒からはじめることとなりそうです。
さてそんな今週でもヨヨイノヨイは。
山梨県へ行って参りましたので、地の酒3種飲み比べをたのみました。
飲み比べセットなのに、どんなのがいいですか、と聞いてくださったこの店、なかなかな寄り添い力だなと感服いたしました。
連れて行ってくださったその店の常連の方は、店主そんな接客できたんだねえと驚いており、メニューを見ずとも満足できる、というのは馴染みの店のいいところの一つなのかもしれない、などと思いました。
それではまた来週!
