小牧蒸溜所 第1回|何度でも立ち上がり、酒造りを続ける。小牧蒸溜所が貫く品質という哲学。

人生の岐路というものは、往々にして本人の意図しない瞬間に訪れる。

鹿児島県さつま町で100年以上の歴史を持ち、過去に3度の水害に遭いながらも、本格焼酎を造り続けてきた小牧蒸溜所。

幾度となく蔵を失いかけながらも、そのたびに立ち上がり、いまなお世界へと挑戦を続けている。
その姿は、単なる老舗蔵の物語ではない。災厄を乗り越えながら、自分たちの酒造りとは何かを問い続けてきた、ひとつの哲学の歩みでもある。

今回の取材では、小牧伊勢吉氏(以下、伊勢吉氏)や、その蔵で働く蔵人たちの言葉を通じて、小牧蒸溜所がなぜ焼酎造りにここまで真摯に向き合うのか、そしてこれからの焼酎にどのような未来を見ているのかを紐解いていく。

「酒造りで一番大切なのは洗浄」

一般的に「酒造り」という言葉から、多くの人が思い浮かべるのはどのような光景だろうか。

おそらくそれは、たわわに実った黄金色の原料を厳選する姿や、厳かな空気の漂う麹室の中で職人が熱心に麹米を操る姿、あるいは、うなりを上げる蒸留器から一滴一滴滴り落ちる透明な原酒を、蔵元が厳かな表情で見つめるような、どこか神秘的で華やかな職人技の瞬間ではないだろうか。

しかし、現在、小牧蒸溜所の伊勢吉氏はそうした世間の抱くロマンチックな幻想を、静かな笑みを湛えながら、しかし極めて明確に否定する。

「もし、焼酎造りの日々の仕事の中で、最もメインとなる作業であり、一番大切な工程は何ですかと正面から聞かれたら、僕は1秒の迷いもなく『洗浄』だと答えます。水と道具を使って徹底的に汚れを洗い流す。僕たちの日常のほとんどは、この洗うという行為の連続で成り立っていると言っても過言ではありません。」

伊勢吉氏のこの言葉は、決して比喩でも、大袈裟な表現でもない。
小牧蒸溜所に足を踏み入れ、その製造現場を目の当たりにすれば、「酒造りで重要なのは洗浄」という一言が、いかに現実そのものを表しているのかを実感することになる。

酒造りとは、酵母や麹、そして蔵に棲みつく微生物たちが、本来持っている力を余すことなく発揮できる環境を整えること。
そのために人ができることは、余計なものを徹底的に取り除くことだ。

だからこそ、酒蔵では「造る」以上に、「洗う」ことが重要になる。
小牧蒸溜所には、伝統的な酒蔵から想像するような、どこか土の匂いが残る素朴な空気はない。
そこにあるのは、まるで精密機械を扱う工場や最先端の食品研究施設を思わせるような、張り詰めた空気と徹底した清潔さである。

もちろん、原料となる新鮮な芋の土を丁寧に洗い落とすことは基本中の基本だ。
しかし、それ以上に時間をかけるのは、仕込みに使う巨大なステンレス製タンク、蔵内を巡る無数の配管、道具の一つひとつ、そして創業以来100年以上受け継がれてきた伝統の甕に至るまで、あらゆる設備を徹底的に洗い上げる作業である。

汚れを落とすことは、衛生管理のためだけではない。
雑菌や不要な微生物が入り込む余地をなくし、焼酎を育てる微生物たちが、最も健やかに働ける環境をつくること。その環境づくりこそが、人間に与えられた酒造りの仕事なのだ。

だから伊勢吉氏は、迷いなく言い切る。
「酒造りで重要なのは洗浄」
その言葉は、小牧蒸溜所という場所では、単なる哲学ではなく日々の営みそのものなのである。

塵一つ落ちていない床。
機械の細部まで綺麗に磨き上げられている。

徹底した衛生管理というマスターピース

なぜ、伊勢吉氏はそこまで「洗浄」にこだわるのか。
一見すると地味で過酷な作業に頑ななまでのこだわりを見せるのだろうか。
その答えは、彼らが向き合っている「酒造り」の本質が、自然科学の法則に基づいた微生物の命を預かる営みであるという冷徹な事実に基づいている。

「僕たちが日々の仕込みの中で扱っているのは、麹菌や酵母菌といった、肉眼では見ることのできない繊細な生き物たちです 。彼らは工場で生産される無機質な原材料ではなく、僕たちと同じように呼吸をし、栄養を取り込み、独自の代謝を行ってアルコールと豊かな風味を生み出してくれる、生きたパートナーなんです。」

だからこそ、人間の役割は、菌に対して最高の環境を整えることに尽きる。

「いかに他の雑菌に邪魔されることなく、心地よく元気に生命活動を全うしてもらえるか。菌にとって最高の住処を用意すること。それがすべてなんです。」

伊勢吉氏は、自らの酒造りの品質を高めるために、日本酒の世界における最高峰の蔵元たちのあり方を徹底的に観察し、学び取ってきた。
全国にその名を轟かせ、熱狂的なファンを持つうまい日本酒の蔵元を訪ねた際、彼が受けた衝撃は今も鮮明に記憶に残っているという。

「うまい日本酒の蔵元さんを見たら一発で分かるのですが、もうすごい綺麗じゃないですか 。どんなに建物が広くて大きくても、とにかくみんな綺麗にしている 。それが酒造りの第一であり、絶対に妥協してはならない共通のマスターピースなんです。」

かつて九州の焼酎業界には、南国らしい大らかさの中で「細かいことは気にせず造る」という空気があった時代も存在した。
しかし、伊勢吉氏はそうした甘えを一切許さない。

温暖な気候であればあるほど、雑菌のリスクは高まる。
古い木造の蔵や、100年前から使われてきた甕を使うのであれば、なおさら丁寧で緻密な衛生管理が求められる。
古い道具を使うことは、過去の遺物に頼って楽をすることではない。
むしろ、現代のステンレス製タンクを洗う場合の何倍もの手間と神経を使い、丁寧に丁寧にそのコンディションを維持し続けなければならない。
大らかな風土という言葉を、決して「怠惰」や「不衛生」の言い訳にさせない。その強い意志が、小牧蒸溜所の製造現場の清潔さには表れている。

日々、蔵の隅々から配管の継ぎ目に至るまで、徹底的に洗い流され、消毒されていく現場。
そこには、人間の傲慢さを捨て、自然界の小さな主役である麹や酵母に対して、造り手が尽くしうる最大限の敬意と礼節が、水の流れる音とともに静かに響き渡っている。

小牧蒸溜所内の甕の数々

水を惜しみなく使うということ

小牧蒸溜所の徹底した洗浄を支えているのが、蔵の敷地内で汲み上げられる清らかな井戸水である。
驚くべきことに、小牧蒸溜所が日々の酒造りで使う水の量は、一般的な蔵と比較して約1.5倍~2倍にも及ぶという。

「うちの蔵はとにかく洗う。洗うために水をたくさん使います。よその蔵の1.5倍〜2倍くらい水を使う理由は、メインである洗浄の工程を徹底的に突き詰めているからに他なりません。」

酒造りにおいて、仕込み水の質が重要であることは言うまでもない。
しかし「道具や設備を清浄に保つための水」もまた、それと同等かそれ以上に重要な役割を担っている。どれほど名水と呼ばれる水を仕込みに使おうとも、それを受け止めるタンクや配管にわずかでも汚れが残っていれば、微生物の純粋な発酵は妨げられ、思い描く味わいは濁ってしまう。

だからこそ、彼らは汲み上げた新鮮な水を、あらゆる容器や設備の洗浄に惜しみなく注ぎ込む。
勢いよく流れる水は、ただ汚れを落とすだけでなく、蔵全体の空気を清め、発酵に理想的な環境をその都度フラットな状態にリセットしていく。

自然の恵みである豊かな井戸水を、人間の手による「徹底的な洗浄」という誠実な仕事に転換すること。
これこそが、小牧蒸溜所が大量の水を必要とする真の理由であり、彼らが誇るクオリティの源泉なのである。

味を決めるのは見えない仕事

伊勢吉氏が、ここまで徹底した清潔さと、再現性に頑ななまでにこだわるようになった背景には、彼の優雅な佇まいからは想像もつかないような、かつて蔵の存続そのものを揺るがした未曾有の災禍、そしてそこからの過酷な這い上がりの歴史が深く関係している。

2006年。
本格焼酎ブームが最高潮を迎え、造れば造るほど売れていった時代。
そのドピークのさなか、小牧醸造を水害が襲った。
地獄のような光景の中で、20代半ばだった若き日の伊勢吉氏は、物理的な資産のすべてを失っただけでなく、自らの造り手としてのアイデンティティさえも激しく揺さぶられていた。なぜなら、その水害によって、それまで焼酎業界や酒造りの世界で、半ば神話のようにまことしやかに囁かれ、彼自身もまた盲信していた、ある「拠り所」を完全に失ってしまったからである。

「それまでの酒造りの世界ではね、よく『蔵付き酵母』っていう言葉が使われていたんです。この蔵の壁や天井に長年住み着いた目に見えない菌たちがいるからこそ、この蔵にしか出せない伝統の味が出るんだ、って。みんながそう言っていたし、僕自身もそれを心から信じて疑わなかった。」

しかし、床上4メートルまで泥水に浸かった蔵は、もはや伝統の菌が住まう聖域ではなかった 。

「水没してしまった以上、そんな綺麗なものは残っていない。もはや蔵付き酵母どころか、これは『川付き酵母』じゃないかと。壁もすべて壊して新しくしたし、これでもううちの味は終わったと本当に思っていました。」

水害の傷跡が生々しく残る中、以前の焼酎がすべて流されてしまったため、かつての味わいとの「再現性」を確かめる比較対象の酒すら手元にないという、最悪の状況からの再出発だった。

被災から半年後、全国のファンや地酒屋さんたちの懸命な支援によって、蔵は何とか奇跡的な復活を遂げ、その年の焼酎を仕込み、何とか世に送り出すことに成功した 。伊勢吉氏は、初回に出荷した2,000本のすべての瓶の首に、自らの手で1本1本、ある手紙を括り付けた。

『皆様のおかげで、蔵を復活させることができました。本当にありがとうございます。ただ、あの水害によって蔵の環境は激変してしまいました。もしかしたら、皆様が愛してくださっていた以前の小牧醸造の味わいとは、どこか味が違ってしまっているかもしれません。そのときは、どうかご容赦ください。』

造り手としてのプライドをかけ、しかし同時に、大切な伝統の味が変わってしまったかもしれないという恐怖に震えながら、彼は顧客の審判を待った 。結果は、彼の手元に届いた数え切れないほどの熱い声によって、予想だにしない形で裏切られることになる。

「みんながね、口を揃えて『味、全然変わってないよ。美味しいよ』と言ってくれたんです。」

その瞬間、伊勢吉氏の身体を駆け巡ったのは、安堵とともに、造り手としての強烈な「覚醒」だった。

味を守っていたのは、壁や天井に宿る神秘的な存在だけではなかった。
先代から血の滲むような苦労の中で受け継いできた、人間の確かな技術の継承。
どんな過酷な環境に陥ろうとも、道具を極限まで清潔に保つこと。
生き物である菌に対して、人間ができる最高の環境を整えること。
それこそが小牧蒸溜所の正体だったのだ。

神話に頼るのをやめ、自らの手のひらに宿る技術と、目の前の洗浄という具体的な行為を信じる 。水害という壮絶な試練は、伊勢吉氏から甘い幻想を剥ぎ取る代わりに、何ものにも揺らぐことのない、本物の造り手としてのプロフェッショナリズムを植え付けたのである 。

その確信を得た瞬間、伊勢吉氏は「味を継ぐ人」から、「未来へ味を繋ぐ人」へと、大きく一歩を踏み出したのである。
小牧醸造改め、小牧蒸溜所としてのスタートでもあった。

水害で被災した蔵の外(画像提供:小牧蒸溜所)

品質を守るという考え方

小牧蒸溜所における酒造りの真髄とは、豊かな自然の恵みや、語り継がれる伝統の神話に盲目的に甘えることではない。
それは、自然という不確実で時に猛威を振るう存在に対して、造り手が徹底的な知性と情熱をもって環境をコントロールし、高い次元で品質の「再現性」を維持し続ける、極めて現代的でストイックな挑戦である。

美味しいお酒を造るために、人間のエゴを捨て、現場を清潔に保ち続けること。
そして、どれほどブームが去来し、時代の風向きが変わろうとも、目に見えない細部へのケアを1ミリたりとも怠らないこと。

「良い酒蔵はどこも、建物が古いからどうとか言わず、とにかくやっぱり綺麗にしてる。それが酒造りの基本だから。」

伊勢吉氏がさらりと語るその言葉の裏には、幾度となく蔵を襲った自然災害、焼酎業界を取り巻く激しい時代の変化、そして家業の継承をめぐる家族との葛藤や苦難を背負いながらも、自らの手で磨き上げてきた、1本のボトルに対する絶対的な責任感が宿っている。

小牧蒸溜所が貫く「洗浄」という一見シンプルな哲学。
しかし実行するにはあまりにも過酷な品質への哲学こそが、時代や環境がどれほど激変しようとも、世界中の目の肥えた愛飲家たちを唸らせ、揺らぐことのない極上の味わいを生み出す、最も強固で美しい土台となっているのである 。

【編集部ノート】

第1回では、「酒造りは洗浄に始まる」という、小牧蒸溜所の徹底した衛生管理の哲学をお届けした。

目に見える道具を美しく保つこと。その先には、目に見えない微生物への深い敬意がある。
そして、水害という大きな喪失を乗り越えたからこそ辿り着いた「再現性」という考え方は、職人の勘や神秘性だけに頼らない、現代の酒造りの本質を教えてくれた。

一見すると地味に思える「洗浄」という仕事。
しかし、その積み重ねこそが、小牧蒸溜所の品質を支え、1本1本の焼酎へとつながっている。

次回は、もともと蔵を継ぐつもりはなかった伊勢吉氏が、なぜ小牧蒸溜所を背負う決意をしたのか、その人生の転機を辿る。
家族との関わりや時代の変化の中で覚悟を固めていく歩みを通して、現在の酒造りへとつながるもう1つの物語に迫っていく。

(第2回に続く)

文|山本龍成

この記事を書いた人

bacchante編集部