第2回では、伊勢吉氏が蔵を背負う覚悟に至るまでの過程を追った。
家族経営ならではの苦悩や、焼酎業界を取り巻く激しい環境変化。さまざまな困難が重なり合うなかで、伊勢吉氏は少しずつ後継者としての覚悟を固め、小牧蒸溜所とともに歩む人生を選んだ。
やがて小牧蒸溜所は、本格焼酎ブームという追い風と、長年積み重ねてきた酒造りへの信頼に支えられながら、多くのファンに愛される蔵へと成長していく。
しかし、その歩みがようやく実を結び始めた絶頂の最中、誰も予想しなかった試練が待ち受けていた。
創業以来、幾度となく水害を経験してきた小牧蒸溜所。その歴史に新たな傷跡を刻むことになる。
3度目の水害から学んだ、本当の価値
2006年、本格焼酎ブームが最高潮を迎えていたさなか、小牧蒸溜所を未曾有の災禍が襲った。
鹿児島県内にある120軒もの焼酎蔵の中で、彼らの蔵だけが局地的な集中豪雨による河川の氾濫に見舞われたのである。
牙をむいた泥水は一瞬にして敷地を飲み込み、床上4メートルの高さにまで達した。出荷を待っていた7万本もの大切な焼酎はすべて泥水に流され、廃棄処分せざるを得なくなった。蔵を再建するために背負った借金は、実に数億円にものぼった。
当時、まだ20代半ばだった若き日の伊勢吉氏は、地獄のような泥水の中で途方に暮れていた。
しかし、その絶望の淵で、彼はそれまでの人生観を根本から覆すような、衝撃的で温かい光景を目にすることになる。
「当時は、今のようなSNSなんて存在しない時代でした。あった情報ツールといえばアメブロやiモードが出始めたくらいのレベルです。それなのに、全国から僕たちの焼酎のファンだという、会ったことも見たこともない人たちが、毎日泥をかき出しに助けに来てくれたんですよ。東北の大震災のボランティアのような光景が、僕たちの蔵で起きたんです。」
それまでの伊勢吉氏は、空前の大ブームの波に乗り、1億の会社が10億、10億の会社が100億へと、数字が右肩上がりにドーンと伸びていくゲームに、どこか目を奪われていたと振り返る。「自分も世の中も完全に勘違いをしていたのかもしれない」と。
しかし、泥まみれになりながら自分たちを懸命に支えてくれる人々の温もりにリアルに触れたとき、彼は生まれて初めて、自分たちの仕事の「本当の価値」に気づかされたのである。
「僕らが造るお酒の後ろ側には、実際にお酒を本当に飲んでらっしゃって、喜んでくれる生身の人間がいるんだということを、一番大変なときにリアルで感じたんです 。そこからですよ、僕のパッションが本当に動き出したのは。この瞬間、この蔵を、自分たちのお酒を好きでいてくれる呑み手を背負っていこうと。」
水害という自然災害と闘いながら、伊勢吉氏は自らの足で歩み出す決意を固めた。
それまでの、地元向けの商品や大手メーカーとの提携商品を造る体制から脱却し、美味しいお酒を熱量とともに届けてくれる「全国の地酒専門店(地酒屋さん)」の存在を知り、まずはそれを見て回ることからリスタートしたのである。実際に酒屋さんに出会い、その先のお客様や飲食店様の声を教えてもらう中で、お互いの顔が見える関係性を築いていく。
この瞬間、本当の意味で蔵を継ぎ、未来へと歩み出したのである。
急速にブームが去り、業界の風向きが変わっていく中でも、伊勢吉氏の心には「助けていただいた恩返しのために、俺の力でもう一度この業界を盛り上げよう」という、静かで熱いパッションが燃え盛っていた。

ユニフォーム刷新という戦略
水害からの復興を遂げ、顧客との強い繋がりを軸にした経営へと転換していく中で、伊勢吉氏は2009年、さらなる大胆な変革へと打って出た。
それは、蔵で働くスタッフ全員が着用するユニフォーム(制服)を、それまでの業界の常識を覆すほどスタイリッシュなデザインに一新することだった。
当時、日本の酒造業界において、「おしゃれなユニフォーム」という発想はほとんど存在していなかった。
どこの蔵に行っても、現場で着られていたのは、昔ながらの無骨な作業着が一般的だった。
しかし、伊勢吉氏はその光景に強い違和感を抱いていた。
「僕はね、あのThe作業着を着るのがすっごい嫌だったんですよ。世間の人たちは『酒造りってかっこいい』と言ってくれるのに、実際に現場で働いている人間が一番かっこいいと納得した格好をしていないのは絶対に違うな、とずっと思っていたんです。」
単なる作業効率だけを追い求めるのであれば、従来の作業着で十分だったかもしれない。
しかし、伊勢吉氏がユニフォームに求めたのは、単なる衣服としての機能ではなく、そこで働くスタッフたちの「心の変革」だった。
「ちょうどその頃、僕自身が結婚したことも影響していたのかもしれません。小牧蒸溜所で働いてくれているスタッフやその家族が、自分の仕事に憧れや誇りを持てるような、そんな職場にしたかったんです。子供たちが父親の後ろ姿を見たときに、『うちの父ちゃん、めちゃくちゃかっこいいな。将来は父ちゃんみたいになりたいな』と思えるような、目に見える憧れの象徴が必要でした。服装というのはね、人間のプライドや仕事へのモチベーションを映し出す、最も分かりやすいパラメーターなんですよ。」
身につけるものを変えることで、内なる誇りを呼び覚ます。
作業員ではなく、日本の伝統文化を背負う「職人」としてのプライドを自覚させるための戦略的なブランディング、それが伊勢吉氏の狙いだった。
地域文化と歴史を映したデザイン
新しいユニフォームの着想の源泉となったのは、2009年に迎えた蔵の創立100周年だった。
100年という歴史の重みを表現するために、伊勢吉氏はかつての小牧蒸溜所や近隣の蔵が残してきた古い文献や写真を丹念に読み解いていった。
そこで彼の目に留まったのが、明治期から大正期にかけての薩摩の職人たちの姿だった。
古い写真の中の職人たちは、頭にクラシックなキャスケットをかぶり、縞模様の粋な装いに身を包みながら酒造りに励んでいた。
鹿児島という土地は、幕末の薩英戦争を経て、西洋文化や洋服文化が日本の中でも早く流入した地域でもある。
イギリスから伝わった洋服文化と、薩摩の無骨で粋な職人魂。
その2つが融合したような、古き良き時代のワークスタイルがそこにあった。
伊勢吉氏は、それを単に再現するのではなく、現代の洗練された感覚を取り入れ、ワークウェアでありながらどこか「スーツ」のような凛とした美しさを持つデザインとして昇華させようと考えた。
「古き良きものを、今っぽくかっこよく見せる。スーツっぽいタイトな感じのデザインができる人は誰だろうと考えたときに、頭に浮かんだのがスタイリストジャパンの大久保さんという方でした。僕は基本的に、何かをやろうと思ったら直談判なんですよ。大久保さんのところへ直接行って、『うちの蔵の制服を作ってください』と、熱い思いをぶつけました。そしたら、お、いいよって快く引き受けてくださってね。そうして直談判から、あの僕たちのユニフォームが完成したんです。」
その直談判から、小牧蒸溜所の象徴ともいえるユニフォームが生まれた。

業界の景色を変えたブランディングの波
完成したユニフォームは、キャスケットにスーツを思わせる洗練された仕立てを取り入れた、これまでの酒造業界の常識を鮮やかに刷新するものだった。
当時の焼酎業界において、帽子を被って仕込みを行うスタイル自体が極めて珍しく、その斬新で美しい佇まいは瞬く間に全国の流通関係者や飲食店、そして同業者たちの間で大きな話題となった。
現在、小牧蒸溜所のスタッフたちは、この伝統的な焼酎仕様のユニフォームに加え、新しく参入したジャパニーズウイスキー仕様のユニフォームなど、複数のバリエーションをその日の作業や気分に合わせて自由に選んで着用している。蔵の中を行き交う職人たちの姿は、まるで伝統あるヨーロッパの蒸溜所か、洗練されたアトリエのような美しさを放っている。
この伊勢吉氏が仕掛けた先駆的なブランディングの試みは、自分たちの蔵のイメージを高めただけでなく、日本の酒造業界全体の景色をも大きく変えていくことになる 。
「うちの洗練された制服姿を見た、日本酒の有名蔵の蔵元が、『小牧くん、うちもこういうかっこいい制服作っていいかな』と言ってこられたんです。さらには、焼酎界を代表する蔵元の方からも『小牧くん、自分もやっていいかな』と相談を受けました。もちろん大歓迎ですよ、と笑顔で答えました。間違いなく、うちの試みが業界で最初でしたね。 」
名だたる蔵元たちが伊勢吉氏の思想に共鳴し、次々と自らの蔵の制服を美しく整え始めた。
無骨な作業場だった酒蔵が、職人たちが誇りを持って美しく働く場所へと変わっていく。
伊勢吉氏が泥水の中から立ち上がり、一着のユニフォームに込めた「誇り」のパッションは、今や小牧蒸溜所の枠を越え、日本の伝統酒文化全体のプライドを押し上げる大きなうねりとなって、今も確かに息づいている。

【編集部ノート】
3度目の水害では、濁流が床上4メートルまで蔵をのみ込み、数億円という気の遠くなるような負債が残った。
本格焼酎ブームの熱狂の裏で、伊勢吉氏が直面したあまりにも過酷な現実は、単なる経営の数字ではなく、生きるか死ぬかの壮絶なドラマとして私たちの胸に迫る。
けれども、途方に暮れるなかで、会ったことも見たこともない全国のファンが集まってくれたというリアルな事実。
その温もりに触れたとき、伊勢吉氏のなかに「助けてくれた人たちのために、俺の力でもう一度この業界を盛り上げる」という、どこまでも真っ直ぐで泥臭いパッションが確かに宿ったのだ。
蔵人たちが身にまとう洗練されたユニフォームは、単なるおしゃれな作業着ではない。
かつて薩摩の地がイギリスから受け入れた洋服文化の歴史を紐解き、100年の誇りを今っぽく仕立て直した、職人たちの「心の砦」そのものだったのだ。大物スタイリストへ直談判してまで彼が作りたかったのは、ここで働くスタッフやその家族が、自らの仕事に絶対的な誇りを持ち、家族からも憧れられるような場所だった。
直面した被災から逃げずにそれを受け入れ、ただの製造業者から、人々の誇りを創り出す本物の「ブランド」へと蔵を昇華させていった伊勢吉氏の姿。この一人の人間としての強い生き様と、泥の中から立ち上がった誇りという背骨が、どのようにして小牧蒸溜所をさらなる未来へと導いていくのか。
物語はいよいよ最終回。彼が見据える「世界」という大海原、そして「物語を熟成する蒸溜所」という壮大なビジョンへとつながっていく。
(第4回に続く)
文|山本龍成