担当編集が行く、無限乾杯天国地獄録。
逸見愚栄という人間は、私から見ると理想の酒飲みである。
「乾杯。」
この言葉を、彼は一晩で百回以上口にしているのではないだろうか。
メガハイだろうが、瓶ビールだろうが、日本酒だろうが関係ない。
店主と乾杯。隣のお客さんと乾杯。久しぶりの友人と乾杯。新しく知り合った人とも乾杯。
とにかく、乾杯をする。
「もう、そろそろ。」
私がそう思い始める頃、決まってもう一度、乾杯が始まる。
乾杯をすると、杯は乾く。
杯が乾けば、また潤したくなる。
酒飲みとは実に単純な生き物で、その繰り返しを続けているうちに、夜へと静かに時間が溶けていく。
気がつけば終電は過ぎ去り、目を覚ませば布団の上。
そんな夜が、決して珍しくない。
担当編集として、そして友人として、彼と幾度となく酒場を共にしてきた。
そのたび私は見事に二日酔いになり、翌日は半日ほど使いものにならない。
それなのに、不思議と「もう二度と付き合いたくない」と思ったことは一度もない。
普通なら、終電を逃し、朝まで飲み、翌日を潰せば、「次からはほどほどにしよう」と反省するものだ。
けれど、逸見愚栄と飲む夜だけは違う。
いや、飲んだ夜というより、誘いのLINEが届いた瞬間には、もう理性を脇にそっと置いてしまっているのかもしれない。
「今、目黒です。」
たったそれだけ。
たったそれだけの一文で、私は髪を整え、服を着替え、靴を履いて玄関に立っている。
そして家を出てから、ようやくスマートフォンを開く。
「目黒で飲んでるんですか? 行きます! どこ行きましょう?」
よく考えれば、飲んでいるとは一言も書いていない。
ただ近所にきましたという、報告をしただけかもしれない。
それでも疑うことなく向かってしまう。
翌朝、頭痛と吐き気に苦しみながら、私は毎回こう思う。
「またやったなぁ。」
そして、そのすぐ後に続く。
「……おもろかったなぁ。」
逸見にみる理想の酒飲み。
私は、理想の酒飲みを「単に酒が強い人」や「お行儀の良い飲み方をする人」だとは思っていない。
では、なぜ彼が理想の酒飲みなのか。
もちろん、人並み以上には飲む。いや、人並みどころか尋常じゃなく飲む。
けれど、それだけなら世の中にはいくらでもいる。
彼が特別なのは、酒場でとにかく自由なのである。
飲みたい酒を飲み、話したい人と話し、気になった店には迷わず入り、その場にいる誰とでも自然に乾杯を交わす。
そこには「こうあるべき」という窮屈さがない。
酒場という空間を、子どもが公園を駆け回るように楽しんでいる。
そして、その自由さは決して独りよがりではない。
彼が楽しそうに笑い、乾杯を重ねていると、不思議とこちらまで楽しくなってくる。
「もう一杯。」
「もう一軒。」
普段ならブレーキを踏むような場面でも、「まあ、いいか。」と理性が少しずつほどけていく。
なんなら、私の方からも「もう一軒」と言っている、
もちろん、二人でしっぽり飲む夜も……いや、ほとんど無い。
気づけば店主が加わり、常連さんが加わり、誰かがおすすめの店を教えてくれ、そのまま全員で移動している。
誰とでも仲良くなる、という表現は少し違う。
彼は、人を巻き込むのがうまいのだ。
いや、「巻き込む」というより、「楽しそうだから、みんな勝手に混ざってくる」と言った方が近いかもしれない。
だから、彼と飲んでいると、自分の中の理性をそっと酒場に置いてきてしまう。
「明日の仕事は。」
「終電は。」
「今日はこのくらいで。」
そんなことを考える自分は、どこかへ消えてしまう。
そして翌朝、家で目を覚ましたとき、その理性だけが律儀に帰ってくる。
頭痛と胃もたれを連れて。
だからこれは、天国地獄録なのである。
飲んでいる間は間違いなく天国。
翌朝は、文句なしの地獄。
それでもまた、あの一通のLINEが届けば、私は靴を履いてしまうのだ。
だからこそ、逸見愚栄は私にとって理想の酒飲みなのである。
