余韻が生まれる時とはいつだろう。そもそも余韻とは。

こんにちは。なかむらかほです。
今日は、「余韻」について。
bacchanteでもよく使っている言葉ですが、そもそも余韻とは何かから。
そんなことを、自分なりに考えてみようかと。 

余韻とは

私にとって余韻とは、物事が終わったあとにも、その感覚や感情がじわじわと残り続けることです。
「あれ、良かったな。」と、帰り道や次の日にふと思い返してしまう。飲食だけではなく、音楽や映画、芸術、景色、人との会話。何かに触れたあと、すぐには言葉にできないけれど、あとからじんわり広がってくるあの感覚。
それが“余韻”なんじゃないかと思っています。

余韻が生まれる時はいつだろうでは、余韻はいつ生まれるんだろう。

明確な答えはないと思っています。
でも最近きがついたことがありまして…

それは、「自分がリラックスしている時にしか、余韻って生まれにくい。」ということ。

ほうほうそれはどういうことや。となるかもしれませんが、私が余韻を感じる時はいつもリラックスしている時だなと。

ただ、ここでいうリラックスは、ダラダラしている状態ではなく、“自分らしくいられている状態”です。

例えば、ちょっと緊張する相手との食事。
慣れていない高級店。
常連さんばかりで初めて入ったのお店。
そういう場所では、「大丈夫かな。」「これって合ってるかな。」「高すぎないかな。」と、自分の感覚より先に周りを気にしてしまうことが多い。

それは、余韻をもたらせてくれる”余白”を失ってしまっていることが多々あります。

そうではなく、気の知れた人と時間を過ごすことや、お店や空間・時間と自然に打ち解けることができた後、その過ごし方が自分によって良かったと思えた時にあとからじわっと感じる最初に伝えた”余韻”ってものが出てくると思います。

ただ、慣れていない相手や場所で過ごすことを否定しているものではないです。
私自身、初めましての方との食事や慣れていない高級や常連が多い飲食経験もあります。
その中でいかに、自分をリラックスして過ごすことができるか、時間を楽しむことができるかな気がします。

良い余韻には、いろんな条件がある

ただ、リラックスしているだけでは余韻は生まれません。
これまで伝えてきた、「自分で選んだ」という感覚もすごく大事だと思っています。

そう思うと余韻って、リラックスできていること自分で選べていること、その時間を“良かった”と思えることそんな色んな要素が重なって、やっと生まれるものなのかもしれません。って考えると、「余韻って生まれる条件多すぎん?」と思ってしまいました。(笑)

でも逆に言えば、その可能性は増やせるのかもしれない。

余韻は、意外と小さなところにある。

大きな旅行や、高級なお店じゃなくてもいい。
コンビニで買ったアイスを食べながら歩く帰り道とか。
たまたま行った場所で買ったお惣菜とお酒で、家でゆっくり過ごした時間とか。
なんとなく入ったお店で、偶然好きな音楽が流れていたとか。
そんな小さな時間でも、あとからふと思い返したくなることがある。

「あれ、なんか良かったな。」
それが、余韻なんだと思います。
だからこそ、“ちゃんと感じようとすること”が大事なのかもしれません。

そんな気負わなくてもいい。
過ごしたい人と過ごしたい場所で、過ごしたいように自由に過ごしてみるそんな経験があの”余韻”になることもあるかもしれないと。

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bacchanteでも、記事だけではなく、そんな余韻を感じられるようなものを作っていきたいと思っています。

飲食も、空間も、人との会話も。
その瞬間だけではなく、あとに残るものまで含めて楽しめるように。
自分にとっての“余韻”を少しでも考えた方は、もうあなたはbacchante。

この記事を書いた人

なかむらかほ