連休最後の月曜日。
最高気温は36.1℃。本来であれば外になんて出ず、冷房をガンガンに効かせた部屋で缶ビールでも煽っていたい夕暮れ時だ。
けれど、今日ばかりは家でくすぶっているわけにはいかない理由があった。
「常連」と胸を張れるほどではないけれど、階段を上がれば「瓶ビール飲みます?」と声をかけてくれ、お店の人が自らグラスを持って乾杯の待機をしてくれる。
それくらいには通っている店「wacasu」で、今夜はお茶割りのペアリングイベントがあるのだ。
18時スタートだというのに気が急いでフライングしてしまった私たちを、いつものように迎えてくれる。
「お茶割りの味が分からなくなっちゃうので、一本だけですからね」 手渡された瓶ビールには、普段なら言われるはずもないお茶目な釘刺しが添えられていた。
そう、今夜私たちは、このwacasuで特別なお茶割りのコースペアリングを堪能しにきたのだ。
密会の開会宣言
「本来、ペアリングって好きじゃないんですよね」
そんな拍子抜けするような前置きで会の趣旨説明を始めたのは、この店のオーナーであり「一般社団法人日本お茶割り協会」会長でもある多治見氏だ。
普段は一緒にベロベロになるまで飲むただの飲兵衛仲間なのだが、カウンター越しにお茶を点て、お茶割りを作り、その奥深さを語る姿には、いつ見ても惚れ惚れしてしまう。
そんな彼の開会宣言の中で、特にハッとさせられた言葉があった。
「今回は、お茶割りを主軸にコースを構成しています。通常のペアリングはお酒を料理に寄り添わせますが、今回はその逆。まずお茶割りという主軸があり、そこに料理を寄せていく形でコースを作り上げました。そのあたりを楽しんでもらえたらと思います。」
料理がお酒を決めるのではなく、お茶割りが料理を牽引する。
「ペアリング嫌い」を公言する彼が仕掛ける、お茶割りへの圧倒的な愛と自信が詰まった“逆転の発想”。その一言で、私の期待感は一気に最高潮へと跳ね上がった。

緻密に組み上げられた「お茶割りの設計図」
手元に配られた、食材名とお茶、お酒の種類のみが書かれたお品書きに視線を落とすと、彼の言葉の意味がより一層くっきりと浮かび上がってきた。余計な説明を極限まで削ぎ落としたその紙面は、単なる献立表ではない。茶葉の品種、抽出温度、合わせる酒の銘柄までが精密にプロットされた、恐ろしいほど緻密な「お茶割りの設計図」だったからだ。
アペリティフとして供されたのは、「ANTELOPE」のクラフトミードをベースにした一杯。
静岡県産の蜂蜜、金柑、薔薇、そして「やぶきた」の煎茶と紅茶を掛け合わせたという贅沢な構成だ。
ミード特有の華やかな甘香とお茶の清涼な渋みが心地よく交差し、添えられた旬のシャインマスカットのみずみずしさと重なる。
マスカットにも一工夫されていた。マスカットを炭酸ガスに漬け込むことで口に入れた途端にシュワシュワと弾ける新感覚が口に広がる。
外の36.1℃という猛暑で火照っていた身体が、一口ごとに涼やかで凛とした空気へと塗り替えられていくのが分かった。
あぁ、そうだった。このお店はお茶割りももちろんのこと料理との掛け合わせが最高だから来ていたのだと思い出させられる。

そしてここから、多治見氏の真骨頂である「飲み比べ」の仕掛けが本格化する。
最初の比較は「煎茶」だ。
一つ目は、駄農園の「いずみ釜炒り」に松露酒造の米焼酎「genshu」をあわせたもの。
釜炒り茶の香ばしくすっきりとした青みに、セロリの清涼感を効かせた冬瓜が驚くほどきれいに寄り添う。
対して二つ目は、的場園の「はるみどり」に三和酒類「空山独酌」の麦焼酎。
甘みが強く膨らみのあるお茶の輪郭に合わせるように、今度はトマトの酸味と旨味を纏った冬瓜が出される。
同じ冬瓜というベースでありながら、お茶割りの骨格が変わることで、受け止める料理側のパートナーが素直に入れ替わる。
まさに「お茶が料理を牽引する」瞬間を口の中で体感した。

続く「和紅茶の飲み比べ」は、さらに意外性に満ちていた。合わせる食材は真蛸。
中窪製茶園のやぶきた紅茶に大口酒造の「伊佐小町」(芋焼酎)を重ねた一杯には「スイカ」を合わせブラッディマリー風に。
東坂茶園のやぶきた紅茶に西平酒造の黒糖焼酎「加那」を合わせた一杯には「マンゴー」をスパイス仕立てでぶつけてくる。
焼酎の持つ豊潤なコクが和紅茶のアロマを引き立て、蛸の滋味深い旨味と熟したフルーツの甘みが、口の中で引き締まったひとつの作品へと昇華していく。

しかし、最も息をのんだのは、奥富園の萎凋(いちょう)煎茶「さみどり」を用いた、抽出温度による三段階のアプローチだった。
- 一煎目(氷出し): 澄み切ったお茶そのものの濃密な旨味と青香で、甘みの乗ったケンサキイカを受け止める。
- 二煎目(ぬる湯 × 米焼酎): ぬる湯で開いたやわらかな渋みが、とうもろこし豆腐の素朴な甘みとコクを包み込む。
- 三煎目(あつ湯 × 黒糖焼酎): あつ湯によって立ち上る香ばしさが、香ばしく焼き上げられた稚鮎のほろ苦さと胡瓜の爽やかさを力強く受け止める。
特に印象的だったのは、一煎目の組み合わせだ。
じっくりと時間をかけ、濃く氷で出された煎茶を一口含んだ感想は、一言「お出汁」だった。
お茶由来の澄んだ出汁のような旨味が、細く細く丁寧に切られた甘みの強いイカ、そしてシンプルな塩味と重なり合う。
それらが口の中で合わさった瞬間、思わずため息が出るほどの最高の一品が口のなかで完成していた。
同じひとつの茶葉でありながら、温度とお酒という要素が加わることで、まるで演者が舞台上で衣裳を替えるかのように劇的に表情を変えていく。
私たちはグラスとお皿を通じて、その贅沢なストーリーをただただ夢中で追いかけていった。

脂を切り、出汁と溶け合うクライマックス
コースはいよいよ、圧倒的な熱量を帯びてクライマックスへと向かう。
メインとして運ばれてきたのは、ブランド豚「ありがとん(有難豚)」のしゃぶしゃぶだ。
薄く切られた肉に火を通し、口へ運ぶと甘やかな脂と肉の旨味が溢れ出す。そこへあわされたのは、有村製茶の「かなやみどり」に大和桜酒造の芋焼酎「747」を合わせた力強い一杯。
豚肉の豊かな脂を「かなやみどり」の濃密な旨味がどっしりと受け止め、芋焼酎の芳醇な香りが後味のくどさを綺麗に切り去っていく。
この完璧な相互作用には、思わずカウンターのあちこちから溜息が漏れていた。
そして、この夜最も感嘆の声が上がったのが、その後に用意された「締め」の展開だった。
ありがとん(有難豚)の上質な脂と出汁がたっぷりと溶け出したお鍋の底に、香ばしくあおられた焼きリゾットを投入する。
出汁の旨味を少しずつ吸いみながら米がじんわりと鍋に広がっていく。
そこへ流し込むのは、和香園の「ウーロンブラック」に本坊酒造の芋焼酎「茜風43」を仕込んだ熱いお茶割りだ。
発酵烏龍茶特有の芳醇な香ばしさと出汁のコクが口の中で溶け合い、えも言われぬ多幸感で満たされていく。お米とお茶、そして出汁。
日本人なら誰もが深層心理で求めてしまう組み合わせが、最高の形で完成していた。
だいじに少しずつ食べたいがあまりのおいしさに止まらず気づけばお出汁まで飲み干してしまっていた。
デザートの「バナナ、ほうじ茶」には、富士山まる茂茶園の「さえあかり」と若潮酒造の芋焼酎「BENIHARUKA」をあわせた甘やかな一杯。
さえあかりは温かいお茶で作るお茶割。お湯割りとはまた違う、香り高く優しく広がる香り。
これはどこのお店でも飲みたくなる味。
最後の最後まで隙のない、完璧なストーリーテリングだった。

36.1℃の夜に渡された、最高の清涼剤
気がつけば、あっという間の2時間半が過ぎ去っていた。
居酒屋の定番として何気なく煽っていた「お茶割り」という存在が、作り手の美学と溢れんばかりの情熱によって、ここまで奥深く、美しく、エレガントな体験へと昇華される。
「ペアリング好きじゃない」と公言する会長が仕掛けた大がかりな企みに、私たちはまんまと、そして最高の形でハメられたのだ。
店を出て階段を下りると、外は相変わらずもわっとした湿気を含んだ夜風が肌をなでる。けれど、暖簾をくぐる前に感じていたあの「うんざりするような猛暑の圧迫感」は、もうどこにもなかった。身体の中に一本、冷たく澄んだ軸が通ったような、心地よい清涼感だけが残っている。
「……いやー、最初のフライングビールから、全部最高だったね」
グラスを交わした余韻に浸りながら、私たちは満ち足りた気分のまま、初夏の夜の街へと歩き出した。
店舗基本情報
・店名:wacasu
・エリア:学芸大学
・予約:〇
・Instagram
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