小牧蒸溜所 第4回|物語を熟成する蒸溜所。430年の血脈が描き出す本格焼酎の未来。

第3回では、3度目の水害という未曾有の危機を乗り越えた伊勢吉氏が、「助けてくれた人たちへの恩返し」という想いを原動力に、小牧蒸溜所を人々が誇りを持てるブランドへと変えていく姿を追った。
品質へのこだわり、働く人々の誇り、そして支えてくれるファンとの絆。そうした積み重ねによって、小牧蒸溜所は独自の価値を築き上げていった。

しかし、伊勢吉氏の挑戦はそこで終わらない。
彼が次に見据えたのは、本格焼酎の未来、そして世界という新たな舞台だった。

世界という大海原へ

小牧蒸溜所が誇る徹底した洗浄、そして泥の中から立ち上がった職人たちの誇り。
その確固たる背骨を抱えた伊勢吉氏の視線は、鹿児島県さつま町の美しい山並みを越え、すでに広く「世界」という大海原へと向けられている。

それは単なる一時的な海外進出のブームに乗るような話ではない。
本格焼酎という、日本が何百年もの歳月をかけて磨き上げてきた独自の蒸留酒文化を、ウイスキーやブランデー、テキーラといった世界の銘酒たちと肩を並べる「グローバル・スピリッツ」として堂々と確立させるための、極めて真剣で、地道な挑戦である。

「国内のアルコール市場が右肩下がりを続けるなかで、世界を見据えて打って出るのは、次の100年へ向けた生き残りをかけたリアルな決断でした。だけど、現実は全然売れなかった。同じ世代の蔵元たちと一緒に海外へ行って、一生懸命に売ろうとしたけれど、そこには高くて厚い壁が2つあったんです。」

伊勢吉氏が語る海外進出の壁。
それはまず、世界中のどの国にも、すでにその土地に根付いたウォッカやジン、ラムといった、馴染み深い「白物(ホワイト・スピリッツ)」のお酒が存在しているという事実だった。
現地の呑み手からすれば、わざわざ高い関税を払ってまで、味も情報もよく分からない「メイド・イン・ジャパン」の蒸留酒を選ぶ理由がどこにもなかったのである。

そしてもう1つの壁は、私たちが焼酎の魅力として誇っている「バリエーションの多様さ」そのものだった。
芋、米、麦、黒糖など、原料によって多種多様に広がり、さらに泡盛という独自の系譜も持つ焼酎の世界は、海外の人々からすれば「なぜこれらが全部同じ『焼酎』という名前で呼ばれているのか」という大いなる混乱を招いた。

「まず焼酎とは何かを説明して、そこからさらに『僕は芋なんです』と伝える。この2段階、3段階の説明がいるコストの高さが、大きな要因だったと今なら分かります。日本酒なら『ジャパニーズ・サケ』の一言で済む。似たようなお酒が世界にないから伝わりやすい。だけど、焼酎はさらに水割りだ、お湯割りだと飲み方まで入ってくる。海外の人からすれば、ハードルが高すぎて遠い世界の話になっていたんです。」

焼酎からジンや焼酎スピリッツなどラインナップ豊富な小牧蒸溜所のお酒。

ウイスキーという「世界共通言語」の扉

その高すぎる壁をぶち破るために、伊勢吉氏が導き出した答えは、伝統に固執することではなく、戦い方のルールを自ら変えることだった。
それが、小牧蒸溜所が挑んだ「ジャパニーズウイスキー」への本格参入である。

「ウイスキーは、すでに世界共通言語なんです。海外へ行って『俺はジャパニーズウイスキーを作っているんだ』と言えば、それだけで『おお、いいね! 飲ませてよ』と、一瞬で同じ土俵に立てる。なんでお前のウイスキーはこんなに美味いんだと驚かれたときに、初めて『実は俺、100年続く伝統的な焼酎メーカーでさ、その技術を生かしているんだよ』と伝える。そうすると、相手はもっと深く知りたくなって、今度は自分から焼酎の扉を開けてくれるんです。」

世界共通言語のウイスキーという大きな扉をまず開け、その奥にある深い焼酎文化へと呑み手を誘う 。
この入り口戦略によって、小牧蒸溜所は世界の酒類関係者との新たな接点をつくり始めた。

やるからには本気で挑む。

ウイスキー造りにおいて一切の妥協を排した伊勢吉氏の活動は、サントリーやニッカ、キリンといった日本のウイスキー界の巨頭たちの目にも留まることになる。
まだ自社ブランドのウイスキーを一般発売する前段階であったにもかかわらず、彼は日本洋酒酒造組合が運営する「GIジャパニーズウイスキー協議会」の理事のポストを任されることとなった。

「理事長であるサントリーさんに『なんでまだウイスキーを売ってもいない僕なんですか』と聞いたことがあるんです。そしたら、『小牧さんがこれまで焼酎業界でずっと走り続けてきた熱い活動を見てきたし、そのイズムが最高に面白い。だから力を貸してくれ』と言っていただけてね。嬉しかったですよ。」

異端児でありながら、本質を突く。
ウイスキーという新しい武器を手に入れた伊勢吉氏は、世界と対等に渡り合うためのパスポートを、自らの情熱で勝ち取ったのである。

入った瞬間酔いそうになるくらい芳醇な香りが広がる。
新たな挑戦の結晶。

文化を繋ぎ、物語を熟成する

時代は今、大きなうねりを上げて変化している。
コロナ禍を経て、現在の歴史的な状況のなかで、日本を訪れる人々のなかには、観光地を巡るだけでなく、日本のより深い文化や歴史に触れたいと考える人も増えている。

「彼らは今、日本の本当の文化を知りたいと渇望している。それなら、海外へ無理に出荷していくことだけが輸出じゃない。いま日本の居酒屋という素晴らしい文化のなかで呑まれている本格焼酎を、日本に来てくれた海外の人たちにいかに深く伝えていくか。彼らがその魅力に感動し、自国の呑み場へと持ち帰ってくれる伝道師になっていくこと。それこそが、今僕たちが仕掛けるべき一番の海外展開だと思います。」

伊勢吉氏は、さつま町の蔵に留まることなく、世界やアジア圏、直行便で結ばれた台湾や韓国などの近隣地域も自ら足を運び、現地の呑み手との認知の距離を少しずつ縮め続けている。今年は、地元・鹿児島で毎年11月に開催され、若手造り手たちと自らの手で立ち上げてきた「焼酎ストリート」の歴史上初となる海外版を、親日である台湾の地で開催することが決定した。

鹿児島県酒造組合の青年会顧問である彼は、周りから「大御所」なんて呼ばれると、「ちょっと待ってよ、俺もまだ一緒に色々やりたいよ!まだまだ若手なんだからさ、仲間に入れて喋ってよ。」と無邪気に笑って見せる。そんな愛嬌たっぷりの冗談を飛ばしながらも、誰よりも若手と同じ目線で泥臭く汗を流し、業界全体を背負って海外のストリートへと打って出るのだ。

そのための小さな一歩として、小牧蒸溜所ではラベルに英語の説明文を記載して販売する計画があるという。
スーパーやコンビニには並ばない、飲食店や地酒屋だけで出会える特別なお酒だからこそ、現場の若いアルバイトのスタッフが海外のお客様にうまく説明できないとき、そのラベルが一枚の丁寧な案内状となるように。

「お酒の歴史を振り返ると、戦後の『量を作る時代』、高度経済成長期の『ブランドを飲む時代』、あるいは2000年代の『個性の時代』を経て、今は『物語を飲む時代』になりました。だからこそ、今の僕たちのテーマは『物語を熟成する蒸溜所』なんです。」

小牧家には、激しい戦乱を生き延び、鹿児島県さつま町に根を張ってきた430年に及ぶ歴史がある。
水害によって何度も過去の記録を失いながらも、島津の家臣としてのルーツを偶然の出会いによって知ったとき、伊勢吉氏のなかで、この町で商売を続ける意味と郷土愛が、より深く、強固なものへと熟成された。

彼らが造り、熟成しているのは、透明な液体としての焼酎ではない。
430年の歴史、水害から自分たちを救ってくれた人々の温もり、あるいは時間をかけることでしか生まれない価値そのものという「物語」なのだ。

(完)

文化を繋ぎ、物語を熟成する小牧蒸溜所の蔵人たち(画像提供:小牧蒸溜所)

【編集後記】

取材中、彼が語る一言一言には、激動の時代を生き抜いてきた者だけが持つ、静かで、しかし決して消えることのない圧倒的なパッションが宿っていた。
「物語を熟成する蒸溜所」という美しい言葉通り、私たちがいただいたグラスの中の焼酎は、ただの洗練されたお酒ではなく、430年の歴史と、度重なる水害を乗り越えた人々の絆そのものの味がしたように思える。

時代が「誰が、どんな思いで造ったか」を求める今、私たちはこの素晴らしい伝統文化を国内へ、そして世界へ繋ぐ架け橋でありたいと、改めて強く感じさせられた。

偶然の重なりによって突如として蔵の命運を託され、直面した過酷な現実から逃げずにそれを受け入れ、真の蔵人へと成長し、やがて業界を牽引するフロントランナーとなった伊勢吉氏の強い生き様。彼が泥の中から立ち上がり、一着のユニフォームに、そして一滴の原酒に込めた誇りと情熱は本格焼酎の未来をこれからも明るく照らし続けていくはずだ。

文|山本龍成

この記事を書いた人

bacchante編集部