一杯を知ると、遠い街が少し近くなる。8月8日は球磨焼酎の日

少し前、三軒茶屋で、熊本県人吉市の寿福酒造場さんの焼酎を囲むセミナーを開きました
そのときに飲んだのが、米焼酎「武者返し」のお湯割りです
湯気の向こうから立ち上がってきたのは、強いアルコールの香りではなくて、炊きたてのおにぎりのように感じられました…
温かいご飯の甘い香りが、ふわっと広がっていく…
「焼酎って、こんな香りがするんだ」
そんな小さな驚きがありました
造り手の話を聞きながら飲んでいると、グラスの中にあるものが、ただの米焼酎ではなくなっていきました

球磨という名前を持つ焼酎

人吉という土地があり、球磨川が流れ、そこで焼酎を造り続けている人がいる
「球磨」という地名が、地図の上にある文字から、少しだけ温度を持った場所に変わった夜でした

それから間もない7月28日、熊本県で大きな地震がありました
被害に遭われた皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。
ニュースの中に「熊本」という文字を見たとき、僕の頭に浮かんだのは、地図や数字だけではありませんでした
あの夜に見た湯気や、造り手の言葉、人吉・球磨という土地の景色でした…
一杯を飲み、少し話を聞いただけで、その土地のすべてを知ったとは言えません。
それでも、一杯を知る前と知ったあとでは、ニュースの見え方が少し変わります
遠くにあった地名の向こうに、そこで暮らす人や、酒を造っている人の姿が浮かぶ

同じ土地から生まれる、多様な味わい

お酒には、知らなかった土地を、誰かが暮らす場所として感じさせる力があるのかもしれません…
球磨焼酎は、米を原料に造られる本格焼酎です
本格焼酎や泡盛は、日本酒とともに、麹菌を使った日本の伝統的な酒造りから生まれた「國酒」と呼ばれています
國酒というと、少し堅く聞こえるかもしれません…
けれど、それは国の威厳を示すための酒ではなく、この国の水や農作物、麹文化、食卓から生まれた、暮らしの酒です
球磨焼酎も、そんな國酒の一つです

日本人の食卓を長く支えてきた米に、麹菌を働かせ、発酵させ、蒸留する
そこに人吉・球磨の水と、造り手の技術が重なります…
球磨焼酎は、日本の米文化と、人吉・球磨の風土から生まれた一杯なのです

そして「球磨」は、味の種類を表す言葉ではありません…
熊本県南部の人吉市と球磨郡という、実在する土地の名前です
国内産米と米麹を使い、人吉・球磨の水で仕込み、その土地で発酵、蒸留、瓶詰めまで行う
その基準を満たした米焼酎だけが、「球磨」の名前を名乗ることができます
球磨焼酎は1995年、酒類の地理的表示、いわゆるGIに指定されました
GIは、味の優劣を決めるためのランキングではありません
土地の名前と、その土地で積み重ねられてきた酒造りを、切り離さないための仕組みです

僕には、ボトルに刻まれた住所のようにも見えます…
同じ「球磨」の名前を持っていても、味わいは一つではなくて、軽やかで華やかな香りのものもあれば、米の甘みや旨味を豊かに感じるものもあるし、長く熟成させた、深く落ち着いた味わいのものもあります…
同じ土地の名前を共有しながら、それぞれの蔵が違う表情の焼酎を造っているという、多様さも球磨焼酎の面白さだと思います
すべてを覚える必要はありません…
まず一杯を飲んで、「この香り、好きかもしれない」と感じる
そこから、どこで、誰が造っているのかを少しだけ知る
そんな順番でいいのだと思います

8月8日、球磨焼酎の日に思うこと

「米」という漢字は、分解すると「八十八」になります
また、米を育てるには八十八もの手間がかかるといわれてきました
そこから8月8日は「米の日」、そして「球磨焼酎の日」と定められています
普段なら、知らないまま通り過ぎていたかもしれない一日です
けれど今年は、熊本で大きな地震がありました
日本に生まれ、日本の食や酒に親しんできた僕が、その土地の酒を飲みながら、同じ国のどこかにある暮らしを思う…
そこに、大きな理屈はいらない気がします
もちろん、球磨焼酎を一杯飲んだからといって、被災した人の暮らしがすぐに元へ戻るわけではありません
特別な支援企画でない限り、その代金がそのまま義援金として届くわけでもありません
それでも、土地の酒を選び、その名前を覚え、また別の夜にも注文することは、その土地の商いや文化をつないでいく小さな力になります
だからといって、「応援しなきゃ」と一杯に大きな責任を背負わせる必要もありません
今夜、いつもと少し違うお酒を飲んでみたい
せっかくなら、まだ知らない土地の一杯を選んでみたい
その選択肢の中に、球磨焼酎を加えてみる…
始まりは、そのくらいでいいのだと思います
暑い夜なら、氷を入れてソーダ割りにしてもいいし、ゆっくり味わいたいなら、ロックや水割りでもいい
冷たいお酒に少し疲れたら、お湯割りにして、ふわっと立ち上がる米の香りを感じてもいい…

大切なのは、正しい飲み方ではなく、今夜の自分が心地よいと思えることです
焼酎に詳しくなければ、飲食店でこう聞いてみてください
「球磨焼酎はありますか?」
すすめられた一杯を飲んで、「美味しい」と感じられたなら、それで十分です
応援という言葉を背負わせなくても、その美味しさが、またいつか選ぶ理由になります

8月8日
もし今夜の一杯に迷ったら、球磨焼酎を選んでみる
グラスを傾けながら、遠くの街や、そこで酒を造っている人の手元を少しだけ想像してみる
その一杯が、遠かった土地を、ほんの少し近くしてくれるかもしれません
そんな夜も、きっと「良い酔い」の一つなのだと思います



【三軒酎屋の中の人note】
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女性の1人飲みの参考書?

『口開け酒場でひとり呑み』

倉嶋紀和子(くらしま きわこ)
日本の雑誌編集長、エッセイスト、タレント
大衆酒場文化の第一人者として多方面で活躍
・肩書:『古典酒場』創刊編集長
・称号:酒サムライ(2022年叙任)
・愛称:酔女(吉田類さん命名の俳号)
・雑誌創刊:2007年に居酒屋特化誌『古典酒場』を創刊
・TV出演:『二軒目どうする?』『にっぽん酒処めぐり』など

この記事を書いた人

中島健壱|三軒酎屋の中の人