三軒酎屋の話をすると、たまにこう言われます。
「よく、そんなこと思いつきますね!」
三軒茶屋を、クラフト焼酎を語る街にする…
飲食店を、ただお酒を出す場所ではなく、蔵元の思いや背景を伝える“注ぎ手”にしていく…
街そのものを、クラフト焼酎の入口にしていく!
たしかに、少し変なことを言っている自覚はあります!笑
でもこの発想は、ある日突然、空から降ってきたものではありません。
僕の中には一度だけ、「食の名前が、街の見え方を変えていく瞬間」を見た記憶があります…
それが、東京都八王子市のご当地グルメ「八王子ナポリタン」でした!
なぜナポリタンだったのか
八王子には、高尾山があります!
週末になると、登山客や観光客、家族連れ、外国人旅行者が訪れる…
都心から少し電車に乗れば、山があり、空気が変わる…
けれど、高尾山を訪れた人たちが、そのまま八王子の市街地まで足を伸ばすかというと、現実はそう簡単ではありませんでした。
観光地には人が来る
駅には人が通る
でも、店には入らない
そうなると、その街は「通った場所」にはなっても、「記憶に残る場所」にはなりにくい…
街には、通過される街と、立ち寄りたくなる街があります。
その差は、距離だけではなくて、わざわざもう一歩、足を伸ばしたくなる理由があるかどうか?
誰かに「ちょっと行ってみない?」と言いたくなるきっかけがあるかどうか?
そのときに僕がプロデューサーとして立ち上げたのが、八王子ナポリタンでした。
「八王子を、ナポリタン日本一の街にする」
冷静に文字にすると、少し馬鹿げています。
でも、街を動かす言葉には、少し馬鹿げたところがあった方がいいのかもしれません。
正しすぎる言葉は、人を緊張させるし、きれいに整った企画書の言葉は、会議室では通っても、街の空気まではなかなか変えられない…
一方で、少し笑える言葉には入口があります。
「八王子って、ナポリタンなの?」
「なんで?」
「どこで食べられるの?」
この“なんで?”が、街の中に会話を生みます。
そして、ナポリタンという料理がちょうどよかった。
高級すぎず、誰でも知っていて、どこか懐かしい…
喫茶店で食べてもいいし、洋食屋にあってもいい!
居酒屋の締めにもなるし、学校給食に出てきても不思議ではない…
赤いケチャップ、太めの麺、少し焦げた玉ねぎ、喫茶店の銀皿、フォークに巻きつける、あの感じ…
ナポリタンには、すでにみんなの中にある共通の記憶があります。
ただのナポリタンなら、どこにでもあります…
でも、そこに「八王子」という名前を乗せると、見え方が変わる。
八王子で食べる理由が生まれ、八王子の店を探す理由が生まれて、八王子の話をするきっかけが生まれる…


その街らしいものに変わるきっかけ
街の魅力は、必ずしも「ここにしかない特別な素材」だけに宿るわけではありません。
みんなが知っているものに、街の文脈を重ねる。
すると、見慣れたものが、急にその街らしいものに変わることがあります…
八王子ナポリタンは、少しずつ街の中に広がっていきました。
最初は、小さな仮説でしたが、一軒、また一軒と、参加してくれるお店が増えていく…
「うちでも出してみようかな」と言ってくれる人が現れる
誰かが食べて、誰かに話してくれる…
やがて、学校給食になったり、思いがけない形で商品になったりもしました…
自分の頭の中にしかなかった言葉が、お店のメニューになり、子どもたちの昼ごはんになり、誰かの食卓に届いていく…
それは、企画をした人間にとって、とても不思議で、少し怖いくらい甘い体験でした…
名前は、人の行動を変えることがある…
食は、街に人を呼び込む入口になることがある…
そして、ありふれた一皿でも、街の記憶になることがある…
僕は、八王子でその手触りを知りました。
たぶん、そこからです。
僕の中で、街を見る目が少し変わったのは…
ただ店が並んでいるだけではなく、ただ人が歩いているだけではなく、まだ名前のついていない可能性が、街の中には眠っている。
誰かがそれを見つけて、言葉にして、人に渡す…
少し笑えるくらいの企画にして、食べたり飲んだりできる形にする。
すると、街は少しだけ動き出す。

三軒酎屋につながる原点、そして…
今、三軒茶屋でクラフト焼酎のことを考えている自分がいるのは、きっとその体験があるからです。
八王子ナポリタンが、昼の食卓に街の記憶をつくるものだったとしたら、三軒酎屋で考えているのは、夜のカウンターに街の記憶をつくることなのかもしれません。
一日の終わりに、ふらりと暖簾をくぐる。
店主に「これ、ちょっと面白いですよ」とすすめられる…
知らなかった蔵元の名前を聞いたり、土地の話を聞きながら、一杯を飲む…
その夜の一杯が、ただ酔うためのものではなく、どこか遠くの土地や、造り手の時間とつながる入口になる。
クラフト焼酎には、そういう力があると思っています。
でも、その魅力は、詳しい人だけの言葉で語られているうちは、なかなか最初の一杯になりません。
だからこそ、三軒茶屋という街の中で、飲食店のカウンターから、少しずつ手渡していきたい。
蔵元がいて、土地があり、長い時間がある。
それを東京の夜の中で、どう語るか?
どう出会ってもらうか?
どう「ちょっと飲んでみようかな」という入口に変えるか?
やっていることは違うようで、根っこは似ています。
名前をつけて、入口をつくり、街の中に、まだ見えていない価値を立ち上げる。
ただ、八王子ナポリタンの頃の僕は、まだ少し無防備でした。
街が盛り上がれば、それでいい。
協力してくれる人が増えれば、それでいい。
誰かが面白がってくれれば、それでいい。
本気で、そう思っていました。
けれど、名前をつけるということは、火をつけることでもあります。
そして火がついたなら、その火を誰と囲むのか?
誰のものにせず、どうやって育てていくのか?
そこまで考えなければいけなかったのだと、あとになって知ることになります…
八王子ナポリタンは、僕に光を見せてくれました。
同時に、名前を育てることの難しさも教えてくれました。
その経験があったからこそ、今の三軒酎屋では、ただ盛り上げるだけではなく、誰と、どんな言葉で、どんな夜をつくっていくのかを考え続けているのだと思います。
昼のナポリタンから、夜の焼酎へ。
僕が三軒酎屋にたどり着くまでの話は、たぶんそこから始まっています。

【三軒酎屋の中の人note】
毎週土曜日更新
女性の1人飲みの参考書?
倉嶋紀和子(くらしま きわこ)
日本の雑誌編集長、エッセイスト、タレント
大衆酒場文化の第一人者として多方面で活躍
・肩書:『古典酒場』創刊編集長
・称号:酒サムライ(2022年叙任)
・愛称:酔女(吉田類さん命名の俳号)
・雑誌創刊:2007年に居酒屋特化誌『古典酒場』を創刊
・TV出演:『二軒目どうする?』『にっぽん酒処めぐり』など

