しゃべるか、飲むか

私は、大衆酒場が好きだ。

安い。気軽だ。料理も、いわゆる庶民的なものが多い。超庶民の私にとってぴったりだ。

でも、私が大衆酒場を好きな理由は、たぶんそれだけではない。

こないだ昔ながらの大衆酒場へ行った。

カウンターもある。テレビもある。テーブルもあるし、座敷もある。注文した料理は、どれもおいしかった。

鯨刺しなんていう渋いものもあるけれど、目新しい料理が並んでいるわけではない。

煮込み、鶏のからあげ、揚げ出し豆腐、しめ鯖。

ビール、ホッピー、デンキブラン、梅酒、日本盛と菊正宗。それからサワーが4種類ほど。

どれも知っている料理とお酒だ。でも、それがいい。

料理を食べるたびに、「これは何が入っていて、どういう味で……」といちいち考えなくていいし、感想を言わなくてもいい。

ありふれていて、ちゃんとおいしい。

料理が、会話の邪魔をしない。

私は、喋るか、飲むか、どちらかしかできないのである。

自分、不器用なので。

飲むときはちゃんと飲みたいし、話すときはちゃんと話したい。まあ、酔いが回るとちゃんと話しているつもりでも、何を話しているか分からなくなってしまうのだけれど。

だから、料理がこちらに「私を味わってください」と主張してこないくらいが、ちょうどいいときがある。

凝った料理屋へ行くと、知らないスパイスや食材に興味が向いて、「これは何だろう?」「はじめて食べた味!」と、料理の話ばかりしてしまうことがある。

それはそれで楽しい。というか、めっちゃ楽しいし、大好きだ。

でも、私は人と話しているとき、料理のことまで考える余裕がない。というか、集中力がかなり限られている。

料理だけじゃない。カウンター席も好きだ。

真正面から向き合うのではなく、隣に並んで座る。話をしながらテレビを眺めたり、目の前の料理に箸を伸ばしたりできる。

ずっと相手の顔を見ていなくてもいいのが、なんとなく気楽だ。

飲みながら喋る。喋りながら飲む。ときどき料理をつまむ。それくらいでいい。

そういう酒場には、友人と話したり、テレビをぼんやり眺めたり、隣の席の会話をなんとなく聞いたりする余白がある。

たぶん私は、その余白が好きなのだ。

「何を食べに行く?」ではなく、「どこで飲む?」と考えるときに思い浮かぶような酒場。

私は今日も、しゃべるか、飲むか。

いや、たぶん両方する。

欲張りかな。

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