東急東横線の学芸大学駅から歩いて数分。
お店のドアを開けると、炭火の香りとともに目に飛び込んでくるのは、カウンター越しに整然と並ぶ本格焼酎のラベルだ。
店主の高野裕貴氏(以下、高野氏)は、客と言葉を交わしながら、一人ひとりの好みやその日の気分に合わせて焼酎を選んでいる。
いまや蔵元の思いや造りの背景までを丁寧に語り、これまで焼酎に馴染みのなかった客までその世界へ引き込んでいる高野氏だが、最初から焼酎というお酒を特別視していたわけではない。
「最初は全然。ビールばっかり飲んでましたからね。」
そう語る高野氏が、なぜ焼酎を自ら選び、その背景まで人に伝えるようになったのか。
高野氏が飲食の仕事に就いたのは、地元・仙台から上京してからだった。
当時入社した会社にはフレンチやイタリアンなどさまざまな業態があったが、彼が選んだのは焼き鳥屋だった。
「特に独立して自分の店を持ちたいとか、一人前になりたいという強い野望があったわけではなかったんです。ただ、焼き鳥屋に入ってみたら、すごく面白くて、自分に合ってたみたいです。」
そこは、お寿司のように1本ずつ焼き立てを提供するスタイルの専門店だった。
ここで高野氏は仕事の面白さにのめり込んでいくことになる。
そんな高野氏と焼酎の距離が近づく最初のきっかけは、今から18年ほど前にさかのぼる。
当時働いていた焼き鳥店に、鹿児島出身のアルバイトの後輩がいた。
家業として中村酒造場をはじめとする鹿児島の蔵元へ、ボイラーなどに使う油を納入していた。
「その子の実家が蔵元さんとお付き合いがあって、油を卸していたんです。中村さんの焼酎も年間を通して大量に購入していたらしくて、私の家にも送ってくれていたんですよ。家で嗜むハウスボトルが『なかむら』でした。」
高野氏は当時をそう振り返る。
とはいえ、当時から焼酎を深く知ろうとしていたわけではない。自宅に届く中村酒造場の焼酎を楽しみながらも、普段飲むお酒の中心はビールだった。焼酎は身近な存在ではあったものの、その造りや背景にまで関心を向けるようになるのは、もう少し先のことだった。

蔓無源氏のソーダ割りと、最初の「美味しい」
転機は、中目黒の飲食店で働いていた頃に訪れた。
当時、高野氏は現在所属する会社の別店舗でも、週に一度、手伝いとして働いていた。
その職場では乾杯のお酒をもらう機会があり、いつも「蔓無源氏(つるなしげんぢ)」のソーダ割りを飲んでいる料理長がいた。
ビールを飲むことが多かった高野氏も、そんな料理長の姿を見て、「自分も飲んでみようかな」と思ったという。
そうして口にした「蔓無源氏」のソーダ割りが、焼酎に対する印象を変えるきっかけとなった。
弾ける炭酸とともに広がったのは、すっきりとした飲み口と豊かな風味だった。
「飲んでみたら、ソーダ割りがすごく美味しかったんですよね。あ、焼酎ってこんな風に飲むと美味いんだなって…」
それは日常の中での素朴な「美味しい」という発見だった。
そこから高野氏はプライベートでも焼酎のソーダ割りを飲むようになっていく。
しかしこの時点では、美味しい飲み物の選択肢が日常にひとつ増えたに過ぎない。
高野氏が焼酎というお酒に本格的に向き合うことになるのは、それから数年後の代官山でのことだ。
代官山のカウンターに届いた、紅茶の香りの焼酎
2021年、高野氏は新しい会社に入り、代官山に新しく立ち上がる店舗のオープンスタッフとして現場に立つことになった。
その店舗が扱っていたメインのお酒は、日本酒だった。
焼酎もメニューにはあったものの、当時の高野氏は焼酎の銘柄や造りについて、まだそれほど詳しくなかった。
そこで、会社と昔から付き合いのあった酒屋「コセド酒店」に仕入れの一部を任せることにした。
入荷する全6本のうち、4本は自分で選んだものを頼み、残りの2本は「何かおすすめのものを」とお任せで選んでもらっていたのだという。
ある日、酒屋から届いたケースを開けると、その中に鹿児島県指宿市の大山甚七商店が手がける1本の瓶が入っていた。
名前は「宮ヶ浜 MIYAGAHAMA Aroma」。
玉茜(たまあかね)を原料に造られたこの芋焼酎の栓を何気なく抜き、グラスに注いで一口飲んだとき、高野氏は驚いた。
「本当に紅茶みたいな香りがしたんですよ。焼酎というか、本当に美味しかった。そういうお酒があるんだと驚いて。」
それまで持っていた芋焼酎のイメージとは異なる、アールグレイを思わせる華やかな香気と味わい。自分の知らないお酒の世界があることを知り、高野氏は強く心を動かされた。
「これを売っていきたい。この美味しさを自分たちの店で発信したい。」
ただ置いてあるものを出すのではなく、この1本が持つ魅力を自分の言葉でお客さんに伝えたい。
その思いが芽生えたことで、焼酎というお酒に対する高野氏の向き合い方が変わっていった。

一本の焼酎がつないだ、蔵元との出会い
「宮ヶ浜 MIYAGAHAMA Aroma」の魅力を店で発信するようになると、その熱量は間もなく造り手本人のもとへ届いた。
最初に店舗へ連絡をくれたのは、大山甚七商店の岡元啓介氏だった。
岡元氏は、同社の現社長・大山陽平氏と幼稚園から高校までをともに過ごした幼なじみ。小学校から高校までは同じサッカー部に所属していたという。
岡元氏からの連絡をきっかけに、高野氏と大山甚七商店との交流が始まった。
その後、大山氏とも焼酎を通じて言葉を交わすようになり、互いの思いや考えに触れる中で、距離を縮めていった。
「岡元さんと、すごく話が合って、意気投合したんです。」
出会いから間もなく、店舗の3周年の日には「大山甚七商店にフォーカスしたペアリングナイト」というイベントを開催した。
大山甚七商店の焼酎に自身の料理を合わせるこの試みが、高野氏にとって蔵元と密に組んだ最初の仕事となった。
イベントを経て焼酎への関心はさらに深まり、春には蔵の見学にも赴いた。
仕込みの現場を見学し、造りの話を聞くことで、グラスの中にある液体の背景を理解していく。
その後、仕事の拠点を現在の学芸大学へ移すことになる。
学芸大学へ来てからも、焼酎への注力は変わらなかった。
大山氏をはじめとする蔵元を招いたイベントを定期的に催し、店を訪れる客にその魅力を伝えていった。
「受け取る側」として始まった物語
ビール党だったひとりの料理人が、たまたま口にしたソーダ割りで焼酎の美味さを知り、代官山で出会った「宮ヶ浜 MIYAGAHAMA Aroma」によってその焼酎の奥深さに触れた。
大山甚七商店の造り手たちが丹精込めて生み出した1本のお酒。当時の高野氏は、そのお酒が持つ魅力をただただ「受け取る側」にいた。
「宮ヶ浜 MIYAGAHAMA Aroma」という存在がなければ、今の高野氏が焼酎に向き合う姿勢も、学芸大学での仕事のあり方も違ったものになっていただろう。1本の酒との出会いが、彼の料理人としての歩みを変えていった。
だが、物語はここで終わらない。
大山氏が造ったお酒を高野氏が受け取り、それを客へと手渡していく。代官山のカウンターから始まったこの関係は、時間をかけて確実につながりを深めていくことになる。
自分自身の世界を変えてくれたその蔵元と、数年後に高野氏自身が一緒にお酒を仕込む側になること。
そしてその酒に「Butterfly Effect」という名前がつけられることを、当時の高野氏はまだ知る由もなかった……。

【編集部ノート】
今では焼酎の魅力を伝える高野氏も、最初からその奥深さを知っていたわけではない。
振り返れば、高野氏が焼酎の世界へ入っていったきっかけは、誰かから手渡された一杯や一本だった。
何かを好きになるのに、最初から知識や強い理由は必要ないのかもしれない。「美味しい」「もう少し知りたい」。そんな小さな気持ちから、少しずつその世界へ入っていく。
そして今、高野氏は「受け取る側」から、一杯を「手渡す側」になった。
かつて自分が焼酎の面白さを教えてもらったように、学芸大学の「つきかげ」で、今度はまだ焼酎を知らない誰かに、その入口をつくっている。
次回は、焼酎に振り切った「つきかげ」の店づくりと、高野氏が「蛸壺戦法」と呼ぶ接客に迫る。
(第2回に続く)
文|山本龍成