ANTELOPE第1回|挫折と大事故、そしてコロナ禍。絶望の先で手繰り寄せたミードとの出会いと「確信の1本」

グラスに注ぐと、やわらかな琥珀色が光を包み込み、華やかな香りが立ち上る。
「ミード(MEAD)」というお酒をご存じだろうか。

蜂蜜を原材料として造られる醸造酒で、一説には1万年以上前から存在すると言われている。ワインやビールよりも遥かに古い歴史を持つことから、「人類最古のお酒」として知られている。
日本ではまだ馴染みが薄いが、世界各地では古くから親しまれ、多様なスタイルが発展してきた。

「人類最古のお酒」と、滋賀の小さな醸造所

滋賀県野洲市。琵琶湖のほど近く、田園風景が広がるローカルな土地に、日本初のミード専門醸造所「ANTELOPE(アンテロープ)」はある。
代表を務めるのは、谷澤優気(やざわ・ゆうき)氏。(以下、谷澤氏)

洗練された佇まいを見せるANTELOPEのプロダクトだが、その裏側にあったのは、順風満帆なエリートコースからの転落、命を落しかけた大事故、そしてコロナ禍での絶望という、あまりにも泥臭い人間のドラマだった。
「お酒の力は、人と人を繋ぎ、縁をつくること。人の感情や温度が見えるのが好きで、お酒はその魅力を引き出してくれます」
そう語る谷澤氏は、一体どのような道のりを経て、この未知なるお酒の世界へたどり着いたのだろうか。

ANTEROPEとtheta θ、醸造所の入口を彩る看板

「日系企業なら選んで入ってあげますよ」からの全落ち

今でこそ変態的なまでのこだわりで醸造に向き合う谷澤氏だが、かつては「ゴリゴリのエリート街道」を進むつもりだったという。
大学時代は京都大学の農学部でバレーボール部に所属し、センターとしてコートに立つ体育会系男子。部活とアルバイト、そして飲み会に明け暮れる毎日を送っていた。

「体育会系だったこともあって、飲み会ではずっと『ビール縛り』でした。そのまま就職活動の時期を迎えたのですが、周囲には恵まれた環境の先輩が多く、就活で失敗する人を見たことがなかったんです。当時はすっかり天狗になっていて、『外資系は別として、日系企業だったら僕が選んで入ってあげますよ』くらいの高飛車な感覚で受けていました。」

しかし、現実は甘くなかった。第一志望群に掲げていた大手ビール会社の採用面接を受け始めると、一次面接でことごとく落とされてしまう。
面接の場で他大学の学生と笑顔で交流しながら「京都大学です、体育会系でした」とにっこり自己PRをしてみたものの、手応えは皆無。ことごとく不採用の通知が届いた。

「その時に初めて『きちんと自分のやりたいことを見つけないと、日本は意外と厳しいぞ』と痛感したんです。僕はビール会社しか受けていなかったので、表面的な飲む楽しさだけでなく、作るプロセスも勉強しないと語れるものがないなと思って、作り方の勉強を始めました。」

学び始めると、その面白さに一気に引き込まれていった。多趣味だった谷澤氏だが、「深く入ってこれからも続けたい」と心から思えるほどの感動を覚える。単なる営業職ではなく「自分自身で作る側に行きたい」という強い欲求が芽生えていいた。

当時付き合っていたパートナーもエリートコースを走っていたため、お互いに堅実な道を進み結婚する未来を描いていた谷澤氏は、キリンやサッポロといった研究職の多い大手メーカーの製造現場を目指す。
しかし、文系の大学院(哲学専攻)に在籍していた谷澤氏に対し、大手メーカーの開発担当者は現実を突きつけた。「理系の院卒者でなければ、実情として現場に前例がないよ」と。
大手企業への道が途絶えたとき、谷澤氏の目に留まったのが「クラフトビール」という小規模な世界だった。海外の論文を読み込み、ブログ『BleBrewery』で情報発信をしながら、「理論を勉強すれば負ける気がしない」と、天狗な情熱を抱えて醸造の世界へ飛び込む準備を進めていいた。

23歳の冬、バイク事故と「右足切除」の宣告

「コンサルに行ってエリートコースに戻るか、クラフトビールの世界に飛び込むか」
進路の選択に揺れていた23歳の冬。大学院1年生だった谷澤氏を、未曾有の惨劇が襲う。

実家から京都へ戻り、先輩のバイクを借りてアルバイト先へと向かっていた途中のことだった。記憶が途切れ、次に目を覚ますと病院のベッドの上にいた。

「状況はすぐに呑み込めたんですけど、いかんせん右足と顔が痛くてたまらない。主治医の先生から言われたのが『右足首の開放骨折と顔面部4箇所の骨折です。右足は菌が繁殖するので切断して義足になります』という言葉でした。」

左顔面は完全に麻痺し、顔の骨はバキバキ。右足首は外れてぐるぐる回転し、土まみれになっていた。
しかし、奇跡的にバイ菌が増殖しなかったため、「一旦足の中に骨を戻して機械で固定してみましょう」ということになり、足を残す手術が行われた。足に機械を取り付けた痛々しい状態となり、大学の研究もストップ。完全な休学生活を余儀なくされる。

身体が動かず失意の底にいた谷澤氏に、大学の特別講師が声をかけた。「休学中なら、一緒にアメリカのポートランドへ行ってみないか?」
車椅子と松葉杖を抱えて渡米した谷澤氏は、当時のクラフトビールの聖地で本場の熱気に触れる。そして、現地のブルワーたちに恐る恐る尋ねた。「こんなハンディキャップを背負った身体でも、造り手としてやっていけますか?」

「彼らは『重いものは機械に運ばせればいいし、醸造所は機械化が進んでいるから絶対大丈夫だ。一緒に行こうぜ!』って言われて。そのポジティブさに一気に視界が開けました。日本へ帰ったら絶対にお酒造りをやろうと決意したんです。」

帰国後、24歳になった谷澤氏は修業の道へ進む。志賀高原の直営ビアパブ「Teppa room」でホールスタッフを経験した後、静岡の「Octagon Brewing」で千葉氏というドイツで学んだブルワーから醸造の基礎を叩き込まれ、続いて「掛川ビール」の西中氏の元で異なる醸造哲学を学んだ。

無給での住み込み修業、週末は併設されたバーでバイトというハードな環境。「これがクラフトビール業界か」ともみくちゃにされながら、谷澤氏は醸造の技術と哲学を身体に刻み込んでいった。

滋賀での起業、そして登記1週間後の「緊急事態宣言」

修業を終えた谷澤氏は、京都で物件を探し始める。しかし、京都の土地は家賃が高く、経営素人の目から見てもリスクが大きすぎた。
そこで、共同創業者である福井氏の実家があり、経済圏が近い滋賀県へと視野を広げる。近江八幡周辺で物件を探す中で出会ったのが、野洲市にある元パン工場の物件だった。

「パン工場跡地でビールを作るというストーリーもいいなと思って即決しました。ゆかりはないけれど、とにかくクラフトビールを作るためにこの場所を借りて、設備投資のお金も入れたんです。」

2020年3月13日、無事に会社を登記。しかし、そのわずか1週間後、世界をあの災禍が襲う。新型コロナウイルスによる緊急事態宣言だ。
海外からの物流が完全にロックダウンし、イギリスなどから輸入する予定だった醸造設備が届かなくなってしまった。
「設備の到着まで1年半は動けません」という絶望的な通達。資金はすでに投入しており、返してもらえるはずもない。醸造所という箱だけを残し、谷澤氏は完全に足止めされてしまったのだ。

開業に向けて準備が進むANTEROPE(画像提供ANTEROPE)

渋谷での衝撃と、1発目の試作で確信した「奇跡の1本」

やることがなくなり途方に暮れる中で、谷澤氏は起業する少し前に訪れたイベントの記憶を手繰り寄せる。
渋谷で開催された「Mikkeller Beer Celebration Tokyo」。世界中からトップブルワリーが集まるそのイベントで、谷澤氏はアメリカの「Superstition(スーパースティション)」というブルワリーが出品していたミードを口にしていた。

「何の気なしに飲んだのですが、衝撃的すぎました。ジャムみたいにドロドロとしていて、めちゃくちゃ甘くて度数も高いのに、酸味と旨味が完璧にまとまっている。『クラフトビールなら思い通りの味が作れる』と天狗になっていたのに、『絶対ビールじゃこの味は作れない』と一瞬で完敗したんです。」

設備が届かず時間だけがあったコロナ禍。「じゃあ今のうちにミードの勉強をするか」と本格的に独学を始めた。
当時、日本で扱われていたミードに対して「なんだか作れちゃいました、というような尖っていないものが多くて勿体ない」と感じていた谷澤氏。「こんなに素晴らしい液体なのに、しょうもない文化として広がったら嫌だ。じゃあ俺がやったるか」と、ミード専業の醸造所へと舵を切ることを決意する。

ANTEROPEのミードが眠る樽熟成庫(画像提供:ANTEROPE)



ミードは蜂蜜、水、酵母といった主原料に加え、ハーブや果物を入れたりと自由度が高いゆえに「レシピの軸」を決めるのが困難だった。そこで、バーテンダーとして活躍していた実の兄に相談し、カクテルをベースにしたアプローチを試みる。
1発目に選んだのは、カクテルの王道「ジントニック」だった。
ジンの香りの核であるボタニカル「ジュニパーベリー」と「ライム」を蜂蜜の液汁と合わせ、アルコール度数12%のミードとして仕込んでみたのだ。

2020年5月〜6月。初夏の日差しが差し込む醸造所で、出来上がった試作品を口にした瞬間、谷澤氏の中に激震が走った。

「飲んだ瞬間、『え、良くない? マジでこれ良くない!?』となったんです。その後もいろいろ試作したんですけど、他のは全然洗練されていなくてダメ。ライムとジュニパーベリーのやつだけが、圧倒的に『これ本当に良くない!?』ってなって。一気にミード1本にガクンと切り替えました。」

就活の挫折、大事故での右足切除の危機、そしてコロナ禍による設備のストップ。
度重なる絶望の果てに手繰り寄せたその1本は、ANTELOPEのトップセールス商品となり、醸造家・谷澤優気の物語を本格的に動かし始めることになったのだ。

醸造の現場から、ミードの可能性を語る谷澤氏

【編集部ノート】

第1回では、日本初のミード専門醸造所「ANTELOPE」を立ち上げた谷澤氏が、人生の計画がすべて打ち砕かれたその先で、ミードという未知のお酒にたどり着くまでの歩みをお届けした。
京大卒というプライドの挫折、大事故、パンデミックといった絶望を乗り越えた先で生まれた「奇跡の1本」は、やがてANTELOPEの原点となっていく。
しかし、これはまだ物語の始まりに過ぎない。

自身がつくったお酒に確信を得た谷澤氏は、その先で日本の農業や養蜂産業が抱える課題と向き合うことに。
偶然の手繰り寄せから生まれた一杯は、多くの生産者や仲間との出会いを生み、新たな価値と循環へとつながっていく。

次回は、ミードづくりの先に広がる蜂蜜と生産現場のリアル、そして谷澤氏がどのような仲間と出会い、新たな挑戦を広げていったのかに迫っていく。

(第2回へ続く)

文|山本龍成

この記事を書いた人

bacchante編集部