子どもの頃、父親の晩酌の時間が好きだった。
宮崎出身の父親は、家でよく「黒霧島」のお湯割りを飲んでいた。たまに僕も作らせてもらったのだが、グラスから立ち上る湯気は、子どもの鼻には刺激が強すぎた。
顔を近づけると、目に染みるような感覚がある。
とにかく、臭い。
「なんで大人はこんなものを嬉しそうに飲むんだろう」と、不思議でならなかった。
それでも父親の横に座っていたのは、スルメイカやほたての貝ヒモなんかのおつまみを、少しだけ分けてもらえたからだ。
焼酎は苦手だった。でも、その時間は好きだった。
そんな自分も大人になり、気づけば父親の隣で焼酎を飲むようになった。
お酒を飲むようになってから、無意識にハイボールではなく焼酎のソーダ割りを選んでいた僕だが、子どもの頃の記憶があったからか、お湯割りだけは長らく避けて飲んでいなかった。
あの「臭い」という記憶が、どこかに残っていたのだと思う。
僕が本格的に焼酎の魅力にはまったのは、実はつい最近のことだ。
きっかけは、酒場で焼酎の「裏側」を垣間見た瞬間だった。
飲み歩くうちに、その背景にあるプロたちの工夫や仕掛けが見えてきた。
芋、麦、米、黒糖。
原料が違えば、香りも味も驚くほど変わる。
同じ焼酎でも、芋の品種や麹、酵母、蒸留方法が違えば、まったく違う表情になる。
そして面白かったのは、造りだけではなく、その一本をどう飲ませるかにも、それぞれの店の工夫があることだった。
ある店では、焼酎と水をあらかじめ馴染ませておく「前割り」を用意し、時間をかけることで角の取れた、まろやかな一杯を出してくれる。
またある店では、焼酎と炭酸をサーバーの中であらかじめ混ぜ合わせ、家ではなかなか再現できないほどの強炭酸でソーダ割りを仕上げる。弾ける炭酸によって香りが立ち上がり、普段飲んでいる焼酎とはまた違った表情が見えてくる。


お湯割りにも、その店なりの工夫があった。
ただ焼酎とお湯を合わせるのではなく、グラスをあらかじめ温めたり、その焼酎に合わせて温度を変えたりする。
そんな一杯に出会ったとき、店主からこう言われた。
「この芋焼酎は、少し高めの温度にすると甘みが引き立つんですよ」
店主のそんな言葉とともに差し出された一杯を飲むと、子どもの頃に「臭い」としか思えなかったあの湯気が、ふわりと心地よい香りに変わっていた。
同じお湯割りなのに、記憶に残っていたものとはまるで違う。
「お湯割りって、こんなに美味しかったんだ」
飲み方ひとつで表情ががらりと変わる。酒場を巡るようになると、同じ銘柄であっても出す店や出し方によって味わいが全然違うことにも気づいた。
焼酎そのものが変わったわけではない。
たぶん、僕に新しい入口ができたのだと思う。
造りを知ることが入口になる人もいる。
店主の一言が入口になる人もいる。
ソーダ割りなら飲んでみようと思う人もいるだろうし、料理との組み合わせから興味を持つ人もいる。
僕の場合は、酒場で出会った一杯だった。
店主たちのこだわりを聞きながら飲むと、その一本をどう飲ませたいのかという意図が伝わってくる。
言ってみれば、飲食店は造り手と僕たちを繋ぐ「翻訳者」のような存在なのだと思う。そうやって一杯の裏側にある工夫や言葉に触れると、目の前の焼酎がもっと美味しく、面白く感じられるようになった。
そうやって面白い一杯や飲み方に出会うと、誰かに話したくなってしまう。美味しかった体験を自分の中だけに留めておくのは、なんだか勿体ないからだ。
父親は現在、自分で飲食店を営んでいる。
昔は言われるがままに黒霧島のお湯割りを作っていた僕が、今では「この前、こんな面白い焼酎があったよ」と、自分から父親に教えることもある。
「へえ、最近はそんな造りがあるのか」
そう言いながらグラスを傾ける父親と焼酎を飲んでいると、なんとも妙な感じがする。だけど、なんだか嬉しい自分もいる。
子どもの頃は、あれだけ「臭い」と思っていた焼酎を、今では自分から、誰かに伝えている。
父親の晩酌があり、ソーダ割りを飲むようになり、酒場でいろいろな一杯に出会い、造り手や店主の話を聞いた。
その一つひとつが入口になって、少しずつ焼酎の面白さを知っていった。
だからこそ今度は、自分が誰かにとっての入口をつくれたらと思っている。
今が関わっている『bacchante』というメディアでお酒や食について書いているのも、根っこはまったく同じだ。
酒場で出会った面白さや感動を、「これ、良くない?」と誰かに共有したい。
美味しいお酒を教えてもらったら、そのバトンを次の誰かに手渡すような感覚だ。
その人がそこから焼酎を好きになるかもしれないし、一杯飲んで終わるかもしれない。それでも、「焼酎ってこういうものもあるんだ」と知るきっかけにはなる。
それくらいの入口を、少しずつ増やしていきたい。
「焼酎の裾野を広げたい」と言うと、なんだか大げさに聞こえるかもしれない。
「焼酎を守る」とか、「業界を盛り上げる」といった立派な使命感があるわけではないのだ。
僕は、ただの一人の焼酎ファンである。
知らない銘柄に出会うとワクワクするし、店主から面白い飲み方を教わると誰かに話したくなる。
美味しい一杯に出会ったら、友人たちと「これ、めちゃくちゃ美味しくない?」と言い合いたい。
だから、一緒に焼酎を楽しめる人が周りに増えたら、僕自身がもっと楽しい。
焼酎の裾野を広げたい理由なんて、本当はそれだけなのだと思う。
全員に焼酎を好きになってほしいわけではない。
ただ、これまで焼酎をあまり飲んでこなかった人が、何かのきっかけで一杯を飲んで、「焼酎って、こんなに面白かったんだ」というそんな瞬間が少し増えればいい。
ソーダ割りから入ってもいいし、お湯割りから入ってもいい。料理との組み合わせでも、酒場で聞いた店主の話でもいい。
入口は、人それぞれでいいのだと思う。
いつかどこかの酒場で、誰かと一緒に「これ美味いね」とグラスを傾けられたら、たぶん最高に楽しい。
昔、黒霧島のお湯割りを「臭い」と思いながら父親の横でおつまみをもらっていた僕がそうだったように、焼酎を好きになる入口は、案外どこに転がっているかわからない。
文=山本龍成
