「ウイスキーが、お好きでしょ」と聞こえてくると、ついつい「ハイ、そうです!」と言ってしまいそうなあの歌。年代によって、石川さゆりさんの声だったり、竹内まりやさん、一青窈さんなどなど、どなたの声で脳内再生されるかは、すこしずつ違ったりもするようです。
実は私個人的にはハイボールというものはほとんど飲まなくて、ウイスキーはロックで飲みたい派なんですが、それは私の好みの話なだけでして、そっちじゃないハイボールの話へと進みたいのが本日です。
皆さん一度はお聞きになったことがあるでしょうかないでしょうか。チューハイ、というものの語源は、酎ハイ、つまり略さずに言えば焼酎ハイボールである、というお話し。
わたくしも若かりし頃にどこぞの酒場で飲んでいたときに、隣にいたおじさまから、おまえらそのチューハイっての何の略か知ってっか〜?などと話しかけられ、ハハーなるほどハイボールのハイねえ、たしかに。ラムハイって言ったりもするし、ハイボールってのはウイスキーには限らないんですか、へえ、なんて思ったきりで、改めてちょっと調べてみようかしら、と思った次第です。
いつだったか海外へいくときに、向こうのバーでハイボールプリーズなんて言っても通じやしねえよ、あっちではウイスキーソーダって言わねえといけねえ、なんてことを言われたような気もするなあなどと思い返しつつです。
さて、いまやコンビニにもスーパーにも缶がずらりと並ぶチューハイですが、あれらは一体なんなのでしょう。
まずはハイボールという言葉から。19世紀末のアメリカにはすでにその名の飲み物が登場しており、ウイスキーを炭酸水で割ったものが代表的ではありますが、必ずしもウイスキーに限らず、ジンやブランデーなど、蒸留酒を炭酸水などで割ったロングドリンクを広くハイボールと呼んでいたようです。
一方日本では。大正9年、1920年には寿屋、現在のサントリーが「ウイスタン」という瓶詰めのハイボールを発売していたそうです。ウイスキーとタンサンを縮めたような名前で、今でいうハイボール缶のご先祖様のようなものでしょうか。もっとも、当時は少々早すぎたのか、あまり売れなかったと社史には記されていました。
時代が進んで昭和25〜26年、1950年から51年ごろ。東京の清涼飲料メーカー、丸源飲料が「ウイスキータンサン」という商品を販売していたんだとか。ウイスキーとタンサン。ウイスキーのハイボールの飲料だと疑いようのないこの名前の飲み物、なんとウイスキーが入っていなかったのだそう。
入っていたのはウイスキーの香料。つまり、ウイスキーの香りがする炭酸水というわけです。この話は、工藤捷一さんによる『ききあるき・東京〈酎ハイ〉物語』というウェブ連載に登場している、坂本香料の堤野会長の証言によるもの。ウイスキータンサンは当時たいへんな人気を集めたそうで、酒場ではこれを焼酎と合わせることで、ウイスキーハイボール、のような飲み物を楽しむことができたのでしょう。
ほにゃほにゃに似ている焼酎でたのしむ飲み物、と聞くとホッピーが思い浮かぶ方がいるでしょうか。ホッピーが発売されたのは1948年。ビールが高価だった時代に、ビールのような風味を持つ飲料を焼酎と合わせることで、手頃にビール気分を楽しめるものとして広まっていきました。ウイスキータンサンと発想の原点は近かったのかもしれません。
もちろん、ホッピーは麦芽やホップを使った飲料ですから、ウイスキー香料を加えた炭酸水とはつくり方が違います。それでも、当時の人々が身近な焼酎を使って、憧れの洋酒に近いものを楽しもうとしていたことを考えると、両者が同じ時代の東京で生まれ、親しまれていたというのは、なかなか興味深いことですね。
焼酎に何かを加えて飲むという習慣そのものは、戦後に突然生まれたものではありません。東京の古い酒場では、焼酎に梅やブドウのエキスを少量加えた「梅割り」「ブドウ割り」という飲み方が、以前から親しまれていました。いまでも立石あたりの酒場に行くと、グラスになみなみと注いだ焼酎に、ほんの少し梅のエキスを加えた梅割りに出会うことができます。割る、とはいっても、ほとんど焼酎そのもの。ほんのすこしシロップ様のものを垂らしているだけですから。一人2杯まで!と書いてある店もあったような気がします。
東京・曳舟の三祐酒場にて昭和26年ごろ、店主が進駐軍の飲んでいたウイスキーハイボールを参考に、焼酎で同じようなものをつくれないかと考えた、という話が伝わっています。当時の焼酎は、今の甲類焼酎ほどすっきりしたものばかりではなかったため、独自のエキスを加えて香りや味を整え、琥珀色の焼酎ハイボールを考案したのだそうです。
一方、山谷の酒場では、店ごとに独自のチューハイがつくられていたという証言も残っています。ある店では梅の香り、ある店ではレモンの香り、またある店では独自に調合した「もと」を使う。現在でも下町の酒場に行くと、同じ焼酎ハイボールという名前なのに、店によって色も香りも味わいもずいぶん違うことがありますが、その背景には、こうした店ごとの工夫があったのでしょう。
先ほどの『ききあるき・東京〈酎ハイ〉物語』には、昭和25〜26年ごろ、千住の酒場関係者が香料メーカーにレモン香料を一升瓶単位で買いに来ていたという証言が登場します。つまり、酒場が自分で香料を仕入れ、それぞれの店の味をつくっていたという。ある種のカクテルバー的な作業が当時の酒場に存在していた、らしい。
こうした香料や割り材をつくる技術は、もともと清涼飲料の世界で発達してきたものだそうで。明治時代の終わりごろから、東京ではかき氷やソーダ水に使う果実蜜が製造されており、酒に混ぜるために甘くないかき氷のシロップをつくってくれ、という注文があったんだとか。
昭和40年代から50年代、もう少し変わっていきます。池袋にあった「300B」という店にて、喫茶店で使っていたソーダ用のコンクを焼酎の炭酸割りに組み合わせ、さまざまな味のチューハイを提供するようになったそうです。レモンだけでなく、果物の風味をつけたチューハイが次々と登場していく。今ではごく当たり前のフレーバーチューハイですが、喫茶店の材料と酒場の飲み物が出会うことで、その種類が増えていった。
昭和55年、1980年には、博水社から「ハイサワー レモン」が発売されます。東京・祐天寺の居酒屋「ばん」で人気だったレモンサワーなどを参考に開発された、焼酎に加えるだけで手軽にレモンサワーができるという製品。
それまで各酒場がそれぞれに用意していた炭酸水やレモン、割り材、「もと」などを、一つの瓶にまとめてしまう。酒場でチューハイを提供することを、ずっと簡単にしてしまうという、ある種の革命的なものだったことでしょう。
そして昭和59年、1984年に宝酒造から「タカラcanチューハイ」が発売されます。
こちらの開発にあたっては、東京の上野や新宿、大阪のキタやミナミなど、各地の酒場を回って研究したそうです。その中で、大阪・キタの居酒屋で提供されていた、宝焼酎「純」を使ったレモンチューハイが、開発の参考になったと書かれていました。東京じゃないんだ、という意外な気持ち。
現在売られている缶チューハイの中には、焼酎ではなくウォッカなどを使ったものもあります。焼酎ハイボールを縮めてチューハイと呼びはじめたものが、進化の過程で焼酎から巣立ってしまっている。
ウイスキーの入っていないウイスキータンサンから、焼酎の入っていないチューハイへ。時代と状況とともに移り変わる飲み物たちの名前は、必ずしも中身の原材料を正確に表すだけではないのかもしれません。何を使っているかということではなく、どんな味がするのか、どんなふうに飲むのか、そして飲む人がそれを何と呼ぶのか。そうしたものが積み重なって、飲み物の名前が定着していくということなのかもしれません。
さて今週のヨヨイノヨイは。
銀座でサンボアのハイボールを飲んできました。氷を入れないグラスにキンキンのウイスキーをそそぎ、キンキンの炭酸を一瓶まるごといれ、レモンピールをキュ。
氷のないこの飲み物のかかえるロマン、ごくりといただきました、と書いてから、写真を撮らなかったことに気づきました。すみません、ググってください。
代わりにといってはなんですが、亀有である日みつけた「もと」の入った焼酎ハイボールの写真をば。
それではまた来週!
