おかわりくださいの、おかわりしたくなる酒場

「おかわりしたくなる店」ってなんだろう

少し前までの私は、とにかくいろんな店に行くのが楽しかった。トレンドの店や気になる店に「好奇心調査」と称して足を運び、「行った」という事実の捺印を重ねる。新規開拓まわりのスタンプラリーのように。

けれど、酒場の楽しみ方も、歳を重ねるにつれて変わっていく。 今の私の好奇心の矛先は、新しいものより、すでに見知っている風景の中から宝物を探す方がしっくりくる。

気づけば、直感的に惹かれる店には、繰り返し足を運んでいる。 昼時のランチであれば、話はもっとシンプルだ。職場の近くに、どうしようもない気持ちを「あそこで食べよう!」の一言で立て直してくれる自分好みの味があればいい。

けれど、酒場となると、そうもいかない。私がつい「おかわり」したくなる店には、味の良さ以上に、ある共通点がある気がしている。

ちょうどいい距離のはなし

その共通点は、緊張と緩和のバランスがとれていることだと思う。どちらかに偏るのではなく、その間にある居心地の良さ。それこそが、おかわりしたくなる正体なのだと思う。

緊迫した空気で支配された店も様式美としてかっこいい。ただ、私が繰り返し足を運びたくなるのは、店主が「お店の先生」としての場を整えている店だ。

大きな声が響いたり、常連同士が一見客を挟んで盛り上がってしまった時、使い込まれたカウンターの中で、店主が鋭く、けれど穏やかな視線を店内に走らせる。野放しにせず、すっと注意が入る店は、空気が整えられていると感じる。そのさじ加減に、場への信頼が生まれる。

以前、隣のお客さんに粗相をしてしてしまったらしい方に対して、帰り際、小声で「隣の方へ一言伝えた方がいいですよ」と諭しているのをみたことがある。そこまで目を配るのかと、思わず背筋が伸び、ビールの苦味を喉の奥で強く感じた。

皆が気持ちよく過ごせるように、ちゃんと手綱が引かれている。常連も一見も関係なく、同じように扱われる安心感がある。だからこそ、その場には気を張りすぎなくていい、ちょうど良い距離感が生まれるのだと思う。

距離が近すぎるのも、すこし困る

初めて入った酒場で、常連のお客さんと妙に盛り上がってしまい、「今度みんなで野球観に行こうよ!」と誘われたことがある。善意120%のありがたいお誘いだ。ありがたい。ありがたいのだけれど、次にその店へ行くハードルが上がってしまうこのジレンマ。社交辞令か、そうでないかなんて分からないような年頃ではない。あれは本当に、普通に誘っていただいたのだと思う。けれど、社交性△で明るくなりきれない私にとって、その本気の善意は、時に少し眩しすぎる。社交の義務は、私には少し荷が重すぎるのだ。

何度か足を運んでいた好きな酒場があった。いわゆる一軍の常連さんと出会い、しっくりこない距離感に苦手意識を感じてしまった。それからというもの「また会ったらどうしよう」と考えるうちに、足が遠のいてしまった。好きな酒場だったのに。行けなくなってしまったことが、すこしさみしかった。

親しき仲にも礼儀ありという言葉があるが、親しくなるまでの距離感にも礼儀はあった方が良いと思う。これを書きながら、苦笑いしてしまうくらいには自分のことをめんどくさいなと思う。それでもやっぱり、その距離感は大切にしたい。

良い酒場に通いたいと思うのと同じくらい、その場所にとっての良い客でありたい。好きな酒場で、自分の振る舞いによって他の誰かが居心地の悪さを感じてしまったら。そのせいで、好きな酒場のファンが一人減ってしまったら。それはきっと、とても悲しいことだと思う。

自分が何に惹かれたのか、その正体がわかった時、パズルのピースがぱちっとはまっていくような快感がある。私が惹かれていたのは、単なる料理・酒の味ではなく、この守られた秩序そのものだったのだ。

だからこそ、思う。

私が混じっていない、その店本来の空気が好きだ。活気も静寂も、私が壊していいものではない。空気に溶け込むように、付かず離れず。好きなものは、少し遠くから眺めておきたい。「おかわりください」という声が、少し響くこの距離で。

だから今日も、ほんのすこしの距離感と緊張感を残したまま、その場所を好きでいたいと思う。

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おかわりください