ANTELOPE第2回|「値切らない」—崩壊寸前の養蜂産業と、ミードが起こす循環

畑で出会った、効率では測れない価値

ANTELOPEを立ち上げた当初の谷澤氏は、原料を提供する日本の農業や一次産業に対して、どこか冷めた視線を向けていたという。

「最初は、国産の農業とかに、またなんか日本の生産者なんか大変なことやってんなみたいな。なんかテック入れたらいいのに、みたいに思ってる超嫌なやつだったんですよね。でもまあ、実際に地域でやってるし、よく来てくれるから収穫手伝い来ますよ、って手伝いに行ったらめちゃくちゃ大変で…」

創業当時の谷澤氏はまだ、ビールへの思いややる気もあり、農業はどこか遠い世界の話だった。しかし、そんな彼の価値観を大きく変える出会いが訪れる。近所で無農薬のブルーベリー栽培を行っていた農家・久美子氏との出会いだった。

地域での繋がりもあり、「人助けとして収穫を手伝いますよ」と軽い気持ちで畑へ向かった谷澤氏。だがそこで目にしたのは、手作業の想像絶する大変さと、それ以上に楽しそうに農作業をする人たちの姿だった。
晴れ渡る空の下、汗を流しながら誇りを持って作物を育てる生産者たち。その光景に触れたとき、谷澤氏の中にあった価値観が少しずつ揺らぎ始める。

「こういう人たちが報われない未来に、自分を中心として生きていきたくないなと思ったんですよ。なんかもうちょっとこう、泥臭くやっぱ一緒にその輪の中にいたいなと思ったんですよ。」

この日を境に、谷澤氏のモノづくりに対する哲学はグラデーションのように変化していった。

単にホームページを見て綺麗な素材を探すのではなく、実際に現地へ足を運び、生産者と直接言葉を交わす。そして、「この人と一緒に仕事がしたい」「この人の想いを届けたい」とマーケティング的な発想ではなく、人の熱量と顔が見える関係性の中で素材を選ぶようになっていった。

ずらりと並ぶ一本一本に異なる表情を持つANTEROPEのミードと谷澤氏

ニュースにならない「養蜂産業のやばいリアル」

国産の素材を求めて全国の農家と繋がる中で、谷澤氏はミードの主原料である「蜂蜜」を生み出す日本の養蜂産業が、崩壊の危機に瀕している惨状を知ることになる。

現在、日本の養蜂現場は主に3つの壊滅的な構造問題に直面している。

第一に、過酷な高齢化と後継者不足だ。
炎天下の中で重い防護服を着用して行う養蜂作業は、まさに剣道を行っているかのような過酷な重労働である。刺され続けることで蓄積されるアナフィラキシーショックのリスクと常に隣り合わせであり、実際に命を落とす有名養蜂家も出ている。また、弟子制度や土地の縄張り争いといった業界特有の構造もあり、新規就農者が根付きにくい環境が続いていた。

第二に、地球温暖化と「多湿」の被害だ。
ミツバチは花の蜜を巣に持ち帰った後、自らの羽ばたきによって水分を飛ばし、糖度を高めて蜂蜜を完成させる。しかし、近年の日本の猛暑と異常な高湿度によって、蜂がどれだけ羽ばたいても水分が飛びきらない。結果として糖度が基準に満たない「低糖度蜂蜜」が大量に発生してしまうのだ。

第三に、耐性ダニの猛威と蜂の激減である。
ミツバチに寄生するダニに対して薬剤が効かなくなるイタチごっこが続いており、蜂群が全国で壊滅的な被害を受けている。日本国内だけでなく、アメリカでも春先に蜂が全体で30%減少し、農作物の受粉すらまともにできないという事態が起きていた。

特に「低糖度蜂蜜」は、市場で深刻な問題となっていた。
水分量が多い蜂蜜は発酵しやすく、EUなどの国際基準では「品質基準を満たさないもの」として扱われることがある。そのため、「待てば糖度が上がるのに早摘みしたのではないか」「かさ増ししたのではないか」と疑われることを恐れ、職人としてのプライドから市場に出せず困窮する養蜂家が後を絶たない。
しかし、谷澤氏はこの「水分が多く糖度の低い日本の蜂蜜」の中に、宝物を見出した。

「水分を含んだ糖度の低いハチミツって、EU(ヨーロッパ)の基準だと『一定の基準を下回る』とされる場合があるんです。ただ、水分の多いこのハチミツも、悪いところばかりじゃないんですよ。つまり発酵です。糖度が上がっていく途中に“菌が活動しやすい時間”が生まれやすくて、それによって匂いの成分が複雑になっていくんです。花のにおいがすごくて、心が動く味がする。僕らミーダリーからしたら、水分量が多いのは、ただただ美味しいハチミツなんですよ。」

市場から弾かれてしまう悲しき蜂蜜。しかし、ミードとして発酵させるプロセスを通せば、その高い水分量と複雑な香りは、他には真似できない味わいへと化けるのだ。

ミードの原点となる、養蜂家の蜂蜜づくり(画像提供:ANTEROPE)

退路を断った「全量国産化」と『さなぎ』の誕生

ANTELOPEでは創業当初、コスト面と安定供給の観点からミャンマー産の蜂蜜をベースに使用し、2028年までに緩やかに国産蜂蜜へと移行していくマイルストーンを描いていた。
しかし2025年11月、予期せぬ事態が襲う。現地情勢の破綻により、ミャンマーからの蜂蜜の輸入が突然ストップしてしまったのだ。
手元の在庫が尽きれば、商品が作れなくなる。

大手メーカーのように大量の備蓄を持たない小さな醸造所にとって、それは倒産に直結する危機だった。海外の別の蜂蜜を探す選択肢もあったが、谷澤氏は腹を括る。
「もう、いっちょやっちゃうか」
2028年までの計画をすべて投げ捨て、銀行から追加の資金を借り入れ、「全量国産蜂蜜への全面切り替え」を宣言したのだ。
高価な国産蜂蜜への切り替えは、原価を跳ね上げ、経営を極限まで圧迫する。定番商品の生産すら不安定になる中で、谷澤氏は新しいシリーズを立ち上げた。

それが、『さなぎ(SANAGI)』である。
国産の蜂蜜と素材を100%使用し、日光による劣化を防ぐためにボトルには1本1本手作業で紙が巻き付けられている。
なぜ「さなぎ」という名前なのか。谷澤氏は静かに語る。

「養蜂の現場がこれだけ厳しく、蜂蜜の味も採れ高も毎年変わってしまう中で、『これがうちの定番商品です』と胸を張って言える段階にはまだありません。だからこそ、僕たちはまだ実験中なんです。このプロダクトが将来、綺麗な『蝶』になるのか、『蛾』になるのか、はたまた『バッタ』が出てくるのか分からない。そんな想いを込めて『さなぎ』と名付けました。」

SANAGIシリーズ(公式HPから引用)

「値切らない」——ミードだからできる還元

国産化への舵切りは、決して美しい道ばかりではない。谷澤氏自身、このプロダクトを時に「偽善シリーズ」と表現することがある。
「農家さんのためと言いながら、実は自分たちのマーケティング材料として使っているだけかもしれない」という自問自答が、常に頭の片隅にあるからだ。

しかし、谷澤氏が徹底して貫いている行動のルールがある。
それは、生産者に対して「絶対に値切らない(ネギ切らない)」ということだ。
農家や養蜂家が提示した価格をそのまま受け入れ、決して買い叩かない。そして、可能な限りまとまった量を買い取ることである。
ここに、クラフトビールやジンには真似できない「ミードというお酒の圧倒的な強み」がある。
ビールやジンの場合、副原材料として地元の果物やハーブを使っても、全体に占める割合は数パーセント程度。1回の仕込みで動く資金は数万円程度にしかならない。

しかし、液体そのものが蜂蜜と水でできているミードは、1回の仕込みで数百キロ単位の蜂蜜や果実を使用する。一度の仕込みで数十万〜数百万円という規模の資金が、ダイレクトに生産者の元へと動くのだ。

「僕たちがミードを仕込むことで、農家さんや養蜂家さんにまとまったお金を届けることができる。生産者さんが喜んでくれて『来年もまた使ってよ』と言ってもらえる循環ができるんです。それができるようになると、本当に楽しいんですよね。」

消費者の顔色を窺って安さを追求するのではなく、「誰と一緒に仕事がしたいか」「どう作れば目の前の生産者が喜んでくれるか」を一番に考える。
一人の醸造家の決断が、崩壊寸前の日本の養蜂産業に、小さくも確かな光を灯し始めている。

醸造所の一角(画像提供:ANTEROPE)

【編集部ノート】

第2回では、ミード醸造家として歩み始めた谷澤氏が、日本の農業や養蜂産業の現場と出会い、その価値観を大きく変えていく過程をお届けした。

かつては、冷めた顔で「技術を入れればいい」と吐き捨てていた男が、泥と汗にまみれた農家たちの笑顔にノックアウトされる。その人間らしい揺らぎと変化に、不思議な愛おしさを覚える。
効率やマーケティングばかりが謳われる現代において、谷澤氏の取る選択は一見すると不器用だ。値切らず、高い国産蜂蜜を買い込み、経営を自ら修羅の沼へと追い込んでいく。

だが、彼がやっていることは単なる「いい人ごっこ」ではない。「偽善かもしれない」と自問しながらも、実際に動いた数十万円、数百万円という資金で農家や養蜂家を支える。その現実の循環こそが、何よりも誠実な人間の美学なのだと思う。

退路を断ち、市場に出せない低糖度蜂蜜を抱えて挑んだ全量国産化。この窮地とも言える挑戦の先に、一体どのような奇跡が待ち受けていたのか。次回、世界を驚かせたひとつの結末へと物語は続いていく。

(第3回に続く)

文|山本龍成

この記事を書いた人

bacchante編集部