ひとりだって、ビールくらい好きに飲ませろ

ひとりで飲んでいてさみしそう、だなんて誠に余計なお世話である。

暖簾をくぐり、人差し指をそっと立てて、静かにカウンターへ滑り込む。
いまだに、初めての酒場に入る時は少しだけ足がすくむ。
心の中で「えいやー!」と叫び、静かに扉を押してしまえば、あとは案外なんとかなる。

酒場の口開け一番に飛び込むのが好きだ。 まだ他人の体温を帯びていない凛とした空気は気持ちが良い。
一番乗りでカウンターに根を張れば、「ひとりで飲みにきた女」として、常連客の好奇の目に晒されることもない。
明るい時間から飲めると、なお良い。すこしの背徳感があると、ひとりで飲む自由はより一層際立つ。

孤独は意外と忙しい

ビールが届くまでのわずかな時間で、一品目を考える。即決というトレーニングを自分に課している。瓶ビールのラベルが自分に向くように、丁寧にグラスへ注ぐ。
自分で自分を接待する、静かな儀式だ。
窓から差し込む日差しを眺めながら、光り輝く黄金色の液体で喉を鳴らす音が、号砲であり、作戦会議開始の合図だ。

私は情緒のある手書きの品書きに、めっぽう弱い。 春めいた日に、菜の花のおひたしを見つけたなら、その日の勝機を確信する。
身体が疲れている日は、小肌酢と梅水晶。きゅっとした酸味が、点滴のように身体に染み渡る気がする。どう考えても酸味に傾倒しすぎているが、自分だけの食卓なら、それが正解だ。

スマホを眺める日もあれば、酒場の風景をぼうっと眺めて過ごす日もある。
店主の無駄のない所作、隣のお客に運ばれる湯気立つ小鉢。滅多に自分から話しかけることはないが、あまりのうまさに感謝が溢れ、「これ、最高です」と漏れてしまう日もある。
そこから不意に始まる会話もまた、ひとり飲みの醍醐味だ。
文庫本を開く日もあるけれど、酔いが回ると文字は脳を滑っていく。
結局、一番おもしろい読み物は、目の前の品書きだったりする。

どの布陣で酒とツマミを頼もうか、私は本気で考える。孤独は意外と忙しい。
食べたいものを、食べたい順番に。もう一杯飲むのか、ここでやめるのか。
すべてを自分の気分と、胃と肝臓で決められる。社会性というベールを纏って過ごした日ほど、この自由はひどく沁みるのだ。

ひとりで飲む自由を知るほど、不思議と誰かと飲む楽しさもよくわかる。
友人と品書きを眺めながら、「そいつはいいね〜」「それ食べたかった」と合いの手を入れつつ作戦会議をする時間は、なににも代えがたい。ひとりの時間を楽しめるからこそ、誰かと過ごす時間のかけがえのなさも、心から愛おしく思える。結局私は、ひとりでも、誰かとでも、酒場で過ごす時間そのものが好きなのだ。

自由でいるために、良い客でいたい

けれど、この自由は、店が守ってきた空気の上に成り立っている。
だからこそ、好き勝手していいわけではない。好きな店では、ずっと良い客でいたい。
大きな声は出さず、注文のタイミングも空気を読む。常連気取りもしたくない。
できることなら、背景の一部みたいに静かにそこにいたい。

……いや、本当は行儀良く飲んでいる自分に、少し満足したいだけなのかもしれない。
そこまで私は、無欲な良い子ちゃんでもない。

会計を済ませて外に出ると、夜の空気が火照った頬に心地いい。
酔い覚ましに歩く東京の夜は、妙に明るくて安心する。
またひとつ、自分で自分の機嫌をとれた気がして、すこしだけ誇らしい。

だから私は、今日も好きにビールを飲むために、暖簾をくぐるのだ。

瓶のキリンラガーに豆苗。勝利を確信する。

この記事を書いた人

おかわりください