【第2回】コロナ禍の失意を越えて見つけた原点|パリの展示会で目撃した焼酎の大きな変化

キャリアを襲った突然のコロナ禍と解雇劇

淡路氏という人物のキャリアは、自らの意思でステップを駆け上がる、前向きな挑戦の連続であった。
淡路氏は「1つの会社に長く留まること」だけを正解とせず、自分の目指す場所や学びの段階に合わせて転職し、経験を積み重ねていくスタイルを貫いていた。

憧れの大手旅行会社、JTBへ挑んだ際も、未経験からの採用という高いハードルに対し、まずは派遣社員として足を踏み入れた。
現場で愚直に信頼を勝ち取り、契約社員へと昇格。さらに正社員登用を目指して必要な資格を取得し、事業部長から推薦を受けるなど、着実に階段を上っていた。

配属された部署は、一般の旅行商品ではなく、農林水産省や日本酒造組合中央会などの公務・自治体案件を中心に担うチームだった。
地域のお米や農産物、そして日本各地のお酒の魅力を全国に広める仕事に、淡路氏は心の底からやりがいを感じていた。
尊敬できる上司にも恵まれ、まさに「仕事が命」というほど充実した日々を送っていた。

しかし、2020年初頭、世界を襲った新型コロナウイルスの感染拡大が、淡路氏の人生を一変させる。
旅行業界全体が未曽有の打撃を受ける中、会社は「勤続5年未満の契約社員は一律で契約終了」という厳格な判断を下したのである。

勤続5年まであと少し、社員登用に向けてのキャリアを設計し歩みを進めていた淡路氏。4月からの新たなスタートを目前に楽しみにしていた、まさにその矢先の出来事だった。
現場の事業部長や人事部長が会社の上層部へ掛け合ってくれたものの、一律の決定であり例外を認めることはできないと決定が覆ることはなかった。
2月頭、突然「3月末での契約終了」を告げられたのだ。

「本当に仕事命みたいなタイプだったので、コロナ禍でそうなってしまって、一回深く落ち込んでしまいました。飲みに行って気持ちを落ち着かせることもできないまま、気づいたら3月末で終了になり……」

情熱を注いできた仕事を突如として失い、自宅に引きこもる日々の中で、人にも会いたくないほどの強い失意を味わった。
それまで自分が努力して積み上げてきたものが、外側の大きな出来事によって突然断ち切られる。
その経験は、淡路氏にとって単なる転職や退職ではなく、自分の存在を支えていた軸そのものが揺らぐ出来事だった。

自分の原点を取り戻し、再び歩み始めた淡路氏(画像提供:淡路氏)

客として訪れたイベントで知った「自分の原点」

自宅で深く思い悩みながらも、淡路氏は「自分は本当は何がやりたいのか」を自身に問い続けた。
頭に浮かんだのは、やはりJTB時代に夢中になって取り組んだ「公務案件」と「大好きな日本のお酒」に関わる仕事だった。

そんな折、以前一緒にイベントを担当していた上司から、「息抜きにおいでよ」と声をかけてもらった。誘われたのは、かつて自身も携わっていた日本酒造組合中央会主催の焼酎イベントだった。

これまでは常にイベントを企画・運営する「裏方」として現場に立っていた淡路氏だったが、この時初めて「一人の客」としてイベントに参加した。
賑わう会場で楽しそうにお酒を味わう人々の姿を目の当たりにした時、淡路氏の中に稲妻のような確信が走る。

「やっぱりこの仕事には素晴らしい魅力がある。私は、お酒の魅力を人に伝える仕事がしたい」
失ったものの大きさを前に立ち尽くしていた淡路氏は、この瞬間、自分が何に心を動かされてきたのかを再び思い出した。
人と地域をつなぎ、作り手の想いや文化を伝え、その場にいる人の表情が変わる瞬間をつくること。
それこそが、彼女がキャリアの中で選び続けてきた軸だった。

原点を取り戻した淡路氏は、業務委託という立場で酒造組合の海外事業に関する公募入札に挑み、見事に参画を決めた。
失意のどん底から、再びお酒のプロフェッショナルとして現場へ復帰を果たしたのである。

フランス・パリ「Vinexpo」で目撃した劇的な過渡期

日本酒造組合中央会の海外事業に参画した1年目、淡路氏はフランス・パリで開催された国際的な飲料展示会「Vinexpo」での焼酎ブース出展を担当した。

現地での最初の挑戦は、決して容易なものではなかった。
欧州における焼酎の認知度はまだ低く、ブースを訪れる現地の人々からは「焼酎って何? 韓国のソジュ(Soju)のこと?」「日本の酒(Sake)じゃないなら要らない」といった反応が多く返ってきた。
日本では当たり前のように存在している焼酎が、世界ではまだ十分に知られていない。
その現実を、淡路氏は現場でまざまざと突きつけられた。

しかし、フランス現地で諦めずに普及活動を続けてきた先駆者たちの努力と、組合による地道なアプローチが、大きな潮流を生み出し始める。
翌年、再びパリの展示会に赴いた淡路氏は、前年とはまったく異なる感動的な光景を目撃する。

「焼酎(Shochu)」と声をかけると、現地の人々から「ああ、知っているよ!」「飲んだことがある」という言葉が自然のように返ってきたのだ。
「焼酎とは何か」と説明するところから始める場面が、以前よりも明らかに少なくなっていたのである。

もちろん、それはわずか1年で生まれた変化ではない。そこに至るまでには、焼酎を海外へ伝えようと、何年にもわたって地道な活動を積み重ねてきた多くの人たちがいた。その努力が少しずつ実を結び、ようやく「焼酎を知っている」「飲んだことがある」という反応として、目に見える形になり始めていたのだ。

長年積み重ねられてきたものが文化として根づき始める、その過渡期を自らの目で確かめられたことは、淡路氏にとって大きな成功体験となった。そして同時に、自らが続けてきた活動の先にも確かに変化があるのだという、ひとつの手応えにもなった。

さまざまなイベントの企画・運営に携わる淡路氏(画像提供:淡路氏)

情熱の視点は再び「日本国内」へ

海外での手応えを得る一方で、淡路氏の胸中には新たな課題意識が芽生えていた。

「海外へ広がることももちろん嬉しいですが、まず日本の中で認知がまだ弱くて。日本人が日常的に飲んでいないものが、本当に海外へ定着するのかなと強く思ったんです」

日本の繊細で丁寧なものづくりが生んだ「焼酎」は、日本酒などと並ぶ誇るべき「國酒」である。
しかし、当の日本人自身がその素晴らしい価値を知らず、「特定の層が飲むお酒」という古い固定観念にとらわれている。

海外へのアプローチを続けながらも、まずは日本の人々自身に焼酎の本当の魅力を知ってもらい、日常のカルチャーとして定着させなければならない。
淡路氏の情熱の矛先は、再び日本国内へと向かっていった。

キャリアを失った時間も、海外での戸惑いも、すぐに成果が見えない普及活動も、決して無駄ではなかった。
むしろそれらの経験が、淡路氏に「自分は何を誰に届けたいのか」という問いを深く刻み込んでいったのである。

日本の焼酎文化を広げるために、現場に立ち続ける(画像提供:淡路氏)

【編集部ノート】

第2回では、コロナ禍によってキャリアが突然途絶えた淡路氏が、自分自身の原点と向き合いながら再び日本のお酒を届ける世界へ戻っていくまでの歩みをお届けした。

あと一歩で正社員登用というタイミングで訪れた契約終了。仕事に情熱を注ぎ、自分の存在価値の多くを仕事に見出していた彼女にとって、それは人生の土台が崩れるような出来事だったことが想像できる。

しかし、失意の中で訪れた焼酎イベントで、淡路氏は改めて気づくことになる。「自分は、お酒の魅力を人に伝える仕事がしたい」という変わらない想いに。
さらにフランス・パリでの展示会では、焼酎が少しずつ世界に浸透していく過程を目の当たりにし、自らの活動にも確かな手応えを感じていく。その一方で、「まずは日本人自身に焼酎の魅力を知ってもらいたい」という新たな課題意識も芽生えていった。

振り返れば、人生には自分の力ではどうにもできない出来事がある。しかし、その出来事の後に何を選ぶのかによって、進む道は大きく変わっていく。
そして淡路氏は次の挑戦へと踏み出す。

次回は、焼酎初心者と焼酎をつなぐ入口として生まれた「FIESTA DE TACOCHU(タコチュウ)」に込めた想いと、「焼酎飲むんだ?」と言われない未来を目指す淡路氏の挑戦に迫る。

(第3回へ続く)

文|山本龍成

この記事を書いた人

bacchante編集部