何かを選ぶとき、いつも確信があるわけではない。
その始まりは、偶然や目の前の小さな悩みだったりする。
現在の淡路梨乃氏(以下、淡路氏)だけを見れば、「焼酎を広める」という明確な軸を持ち、まっすぐ歩いてきた人のように見えるかもしれない。
しかし、その始まりは偶然だった。
もともと好きだったのは日本酒。焼酎を飲み始めたのも、仕事として関わるようになったのも、最初から「焼酎を仕事にしたい」と考えていたからではない。
その後、旅行会社で地域の食や酒の魅力を伝える仕事に情熱を注ぐが、コロナ禍によってキャリアは突然中断される。
そこで改めて「自分は何をしたいのか」と向き合い、辿り着いたのが、「日本のお酒の魅力を伝える」という自分の原点だった。
今回話を伺ったのは、「FIESTA DE TACOCHU(タコチュウ)※」をはじめ、焼酎をもっと日常的なカルチャーにするための活動を手掛ける國酒コーディネーター・淡路氏。
※メキシコの伝統的なフード “TACOS”と、日本の伝統的なお酒 “SHOCHU”のお祭り
その歩みは、最初から決められた一本道ではない。
偶然や挫折、その時々の選択を重ねながら、自分なりの軸を見つけてきたStoryだ。
淡路氏は、なぜ焼酎を選び続けているのか。
そして、その先にどんな未来を描いているのか。
全3話で、その歩みを辿る。

「もう太りたくない。でも、お酒はやめたくない」から始まった偶然の出会い
きっかけは、日常のお酒を見直すことだった
淡路氏と「焼酎」との関係は、最初から特別な計算や強い愛着があって始まったわけではない。
誰もが抱くような身近な悩みと、ひとつの「偶然の出会い」からスタートした。
もともとお酒を嗜むことが大好きだった淡路氏は、会社員として働きながら、一時期は週に1回、新宿・ゴールデン街で曜日店長として、日本酒バーとして営業していたほど、日本酒の魅力に深く傾倒していた。
カウンター越しにお客さんとお酒の魅力を分かち合う時間は、淡路氏にとって何物にも代えがたい大切なひとときであった。
しかし、事務職として座り仕事を中心とする生活へとシフトした時期と重なり、ある日、淡路氏は自身の身体の変化に気づく。
米の旨みや香りを楽しむ時間は、彼女にとって変わらず大好きなものだった。ただ、生活リズムや運動量が変わる中で、毎日のように楽しむお酒との付き合い方を少し見直す必要が出てきたのである。
「お米を食べているのと同じくらいの糖分とカロリーを毎日摂り続けていたわけですから、3か月で10キロも太ってしまって……」
とはいえ、大好きな日常のお酒を完全に断つという選択肢は、淡路氏にはなかった。
「お酒はやめたくない。でも、これ以上太りたくもない」。その正直な気持ちから、淡路氏が目を向けたのが、糖質を含まない蒸留酒である焼酎だった。
つまり、淡路氏と焼酎の最初の出会いは、焼酎そのものへの強い関心ではなく、自分の日常を無理なく続けるための選択だったのである。
当時の淡路氏にとって、焼酎は強いこだわりを持って吟味する対象ではなかった。
居酒屋のメニューに並ぶ「黒霧島」や「三岳」といった定番銘柄を、日常の選択肢のひとつとして淡々と嗜む程度に過ぎなかった。
「日常的に飲むようになったのは、決して焼酎が好きで勉強して飲み始めたわけではなくて。本当のきっかけは、太ってきたから痩せるためにというダイエット目的だったんです。」
振り返れば、その始まりは日常的で、切実なものだった。
けれど、人生の軸になるものは、必ずしも最初から特別な顔をして現れるわけではない。淡路氏にとって焼酎は、まさにそんな偶然の扉だった。

「お酒好きなら手伝ってほしい」—仕事として訪れた第二の偶然
ただの「ダイエット手段の1つ」に過ぎなかった焼酎が、淡路氏の人生のメインステージへと躍り出たきっかけもまた、社内での思わぬ「偶然の出会い」だった。
社内で淡路氏が無類のお酒好きであることが知られていたある日、焼酎関連のプロジェクトを担当していた別チームの上長から声をかけられた。
「お酒が好きなら、ちょっとこの焼酎の案件を手伝ってほしい」
この一言により、淡路氏は図らずも仕事として焼酎の世界へ足を踏み入れることとなった。
仕事として関わる以上、曖昧な知識で臨むわけにはいかない。
銘柄や蔵元、焼酎というお酒の成り立ちや文化について一から真剣に勉強を始めた淡路氏は、全国各地に存在する焼酎の種類の多さと、その多様性に大きな衝撃を受ける。
「焼酎といえば、どこか芋くさくて、おじさんが飲むお酒というイメージだった」というそれまでの世界観が、大きく覆された瞬間だった。
世界観を一変させた「3つの感動的な衝撃」
本格的に勉強を深め、イベントや現場に関わる中で、淡路氏の焼酎観を根底から変える「3つの衝撃的な出来事」が訪れる。
1つ目の衝撃は、日本酒造組合中央会が関わる大型展示会イベント「FOODEX JAPAN」での本格焼酎・泡盛ブースの運営をした際に出合った「焼酎カクテル」である。
それまで「お湯割りやロックで飲む、渋い大人のお酒」という固定概念を抱いていた淡路氏にとって、華やかにアレンジされたスタイリッシュなカクテル表現は極めて新鮮であり、焼酎の持つ表現の広がりに目を見張った。
2つ目の衝撃は、その同じ現場で目撃した、洗練されたプロデュース力と世界観だった。
小牧醸造の小牧伊勢吉氏が、目を引く真っ赤なボトル「紅小牧」を携えて会場に颯爽と現れた際、その洗練された佇まいに、運営スタッフとして働いていた女性たちが仕事の手を止めて惹きつけられてしまったのだ。
「焼酎の世界に、これほどまでに華やかで洗練されたカルチャーが存在したのか」
ただのお酒という枠組みを超えた魅力に、淡路氏の記憶は強く塗り替えられた。
そして3つ目の衝撃は、味覚の概念を覆す仕込みとの出会いだった。
日本酒メインの飲食店で偶然手にした、宮崎県・古澤醸造の「ひとり歩き」という銘柄の前割りである。
前割りとは、あらかじめ焼酎を水で割り、時間を置いて馴染ませたものを指す。
シロップや果汁を加えるカクテルとは異なり、ただ焼酎を水で割り、時間を置いて寝かせただけで、角が取れて驚くほどまろやかに、そして華やかに変化する。
その味わいの深さに、淡路氏は心からの感動を覚えた。
「もう太りたくない。でも、お酒はやめたくない」という日常の小さな選択から始まった焼酎との出会いは、こうして淡路氏の情熱を傾けるべき一生のテーマへと変わっていったのである。
それは、最初から見えていた道ではなかった。
偶然のように見える出来事をひとつずつ受け取りながら、自分の心が強く動く方向へ進んだ結果、淡路氏は焼酎というフィールドにたどり着いたのだ。

【編集部ノート】
第1回では、焼酎を広める活動を続ける國酒コーディネーター・淡路氏が、どのようにして焼酎と出会い、その魅力に惹かれていったのかをお届けした。
もともと好きだったのは日本酒。
焼酎との出会いも、「広めたい」という明確な意思から始まったわけではない。日常のお酒との付き合い方を見直したこと、そして「お酒が好きなら手伝ってほしい」という偶然のひと言。それらの積み重ねが、現在の活動へとつながっている。
振り返れば、人生を大きく変える選択は、必ずしも壮大な決意から始まるわけではない。自分では些細だと思っていた興味や違和感が、気づけばキャリアの軸になっていることもある。
しかし、淡路氏の歩みはここで終わらない。
順調に見えたキャリアは、コロナ禍によって突然中断されることになり仕事に情熱を注いできた彼女は、自身の存在意義さえ見失うほどの挫折を経験する。
それでも、その失意の中で改めて向き合ったのは、「自分は本当は何をやりたいのか」という問いだった。
次回は、コロナ禍によるキャリアの転機を経て、淡路氏がどのように焼酎の世界へ戻り、さらに海外での活動を通じて「焼酎を日常のカルチャーにしたい」という想いを確信へと変えていったのかに迫る。
(第2回へ続く)
文|山本龍成