「じゃあ一杯だけ。」
酒飲みの発する言葉の中でも、かなり信用ならない部類のものです。
もちろん本人は、本当にそう思っています。今日は明日が早いし、終電もあるし、財布の中身も心許ない。だから一杯だけ。軽く飲んで帰るだけ。そんなつもりで暖簾をくぐるわけです。
ところが気づけば二杯、三杯。なんなら店を変えている。あれ、さっき解散したはずじゃなかったっけ?となる頃には、もう夜はだいぶ深い。
「一杯だけ」が一杯だった試しがない。
これは酒という液体の魔力によるものでもありますが、それ以上に、酒場という空間の問題なのだと思っています。
一杯目を飲み終わる頃、人はだいたい、その場に慣れます。
店の温度、椅子の硬さ、隣の卓の笑い声、店員さんのテンション、グラスの重さ。そういった情報が身体に馴染み始める。
つまり、ようやく飲み始める準備が整ってしまうのです。
だから一杯だけで帰る、というのは案外難しい。一杯目とは、アルコールを摂取する時間というより、その場へ身体を同期させるための時間なのかもしれません。
そして酒場という場所は、とにかく「あと少し」に満ちています。
あと一杯だけ。
あと一軒だけ。
あと10分だけ。
この「あと少し」の連続によって、気づけば人は深夜の街を漂流している。
でも不思議なのは、多くの場合、それをそこまで後悔していないことです。
もちろん翌朝には多少の反省もあります。なんであそこで日本酒いっちゃったかなとか、あのあとラーメンまで食べたの誰だよとか、財布に千円札しか残ってないじゃんとか。
それでも、「いやあ昨日は楽しかったな」という感情が勝つ夜があります。
たぶん人は、効率のためだけには生きていない。
もし効率だけを考えるなら、一杯だけ飲んでまっすぐ帰宅し、湯船につかって、歯を磨いて、日付が変わる前に眠るのが最適解でしょう。
でも、人生にはたまに、最適化されない時間が必要なのだと思います。
終電間際の駅前で「どうする?」と立ち止まる時間。
閉店後の店員さんと少しだけ話し込む時間。
もう帰らなきゃなあと言いながら、もう一杯を頼んでしまう時間。
酒場には、そういう無駄な時間がたくさんあります。
そして良い酔いというのは、案外そういう無駄の中から生まれる。
そういえば以前、とあるバーで「一杯だけなんで」と言いながら入ってきた常連さんがいました。
店主は「はいはい」と笑いながら炭酸を開け、氷を入れ、いつもの酒を作る。その時点で、誰も一杯で終わるとは思っていません。
結局その人は三杯飲み、途中から居合わせた別のお客さんと盛り上がり、気づけば深夜二時を過ぎていました。
帰り際、「いやあ飲んじゃったなあ」と笑うその人に、店主がぽつりと一言。
「一杯だけ、って言う人ほど長いんだよね。」
酒場には、こういう優しい嘘があります。
本当は帰るつもりだった。
本当は飲みすぎないつもりだった。
本当は一杯だけだった。
でも、その「つもり」が少しずつ崩れていくことを、どこかで期待している自分もいる。
だから人は今日も、「一杯だけ」と言いながら街へ出るのかもしれません。
さて、今週のわたくしのヨヨイノヨイは。
いいちこという麦焼酎は下町のナポレオンというキャッチコピーでお馴染みでありますが、ここ数年かれらは世界的バーテンダーによるカクテルベーススピリッツとしての位置を確立しようとしているのはご存知だったりそうでなかったり。
今週わたくしは六本木リッツカールトンの45階とかいう空中神殿にてそのカクテルを飲みましたが、これはもう、ハピネスです。ありがとうございました。
それではまた来週!
