神楽坂、大井町、祐天寺。 決まった場所を持たず、街から街へと移動しながら営業する「秘密の台所」。
あその在り方は一見するとユニークだが、店主・通称「台所さん」の話を聞いていくと、そこには彼の想いと、波乱万丈なキャリアの積み重ねがあった 。
今回のインタビューでは、店主の歩みを辿りながら、なぜ彼が「間借り」という形を選び、いま何を計画しているのか。
その背景にある選択を紐解いていく。
15年間の「某高級スーパー」勤務と、ある日突然の終わり
店主にとって、料理は最初から“特別な仕事”だったわけではない。「気づいたらやっていた、という感覚に近いかもしれません。」と彼は語るが、その背景の一つには、某高級スーパーにて15年間にわたり積み上げた濃密なキャリアがある 。
新卒で店舗スタッフとして入社し、店長、そして本社バイヤーへ 。数百店舗分の生ハム、チーズ、オリーブの買い付けをたった一人で担当する過酷な日々を送った 。その後、商品開発として惣菜やデザート、パンの職人たちと新商品を作り上げる立場に就いた 。
「当時は本当にしんどかった。何週間もかけて作った試作品を30品ほど出しても通るのは3、4品。」常に新しく納得のいくものが求められる厳しい環境で、彼は「食材の見せ方」や「価値の届け方」を徹底的に叩き込まれたのだ 。
そんな激務の中で自身の生き方を見つめ直し、彼は長年の夢だったワインバーの世界へ一歩を踏み出す決意を固めた 。
「秘密の台所」という名の由来と、確信
「秘密の台所」という名前には、自身のルーツが深く関わっている。10年以上前から続けていたホームパーティーの記憶だ 。
当時、友人の家のキッチンに食材とワインを持ち込み、即興で料理を作っていた彼は、ひとりの友人の彼女から親しみを込めて「台所」と呼ばれていた 。「その彼女にせっかくこんなに美味しそうなもの作ってるんだからインスタにあげたらと言われ、店ではないけれど、得体の知れない、どこでやっているかわからない場所。でも気になる—そんなコンセプトでSNSアカウントを作ったのが最初です。」
最初は趣味の延長としての出張料理だったが、その後インスタグラムへ出張料理の依頼がひとつまたひとつと入るようになっていった。その圧倒的な反響が、彼の背中を押した。「これなら、いけるかもしれない」と 。

固定の店を持たないという「実地調査」
飲食の世界では、自分の城を持つことが定石とされる。
しかし、彼はあえて「間借り」で街を渡り歩く。そこには、彼の独創的な「戦略」があった。
「エリアによって客層は全く違います。神楽坂には上品なご夫婦が、大井町にはサラリーマンが、祐天寺には感度の高い若者が集まる 。一箇所でいきなり店を始めるリスクを背負うより、各地で“現地調査を兼ねた営業”をするほうが、はるかにリアルなデータが得られるんです 。」
彼は食材やワインを毎回スーツケースで運び、場所ごとの限られた設備に合わせてメニューを微調整する 。大井町ではレンジがなく、神楽坂では揚げ物がNGといった制約も、彼にとっては「その場所でしかできない料理」を考える楽しみだ 。
「言い方は変ですけど各地に“種”を撒いているんです。間借りを続けることで、いざ店を出した時に各地からファンが駆けつけてくれる状態を、今まさに作っています 。」
さらにその“種”は海を越えた。中国出身のお客さまが中国版SNS「RED BOOK(小紅書)」に投稿したことでバズり、上海でのポップアップまで実現させたのだ 。言葉は通じずとも、料理とワインがあれば人は集まる。その確信が、彼のフットワークをさらに軽くした 。
台所料理と、ソムリエの企み
彼の料理には、決まったジャンルがない。
シチューの横におひたしが並ぶような、家庭の食卓のような自由さ。
「だからこそ『レストラン』ではなく『台所』なんです。」
メニューのアイデアは、日々の食べ歩きや海外シェフのリール動画、あるいはスーパーで見かけた旬の食材から無限に湧き出す。
興味深いのは、その設計思想だ。
ソムリエでもある店主は「このワインに合わせたいから料理を作る」という逆算を行なっているのかと思ったが、実はそうではない。
「合うワインはいくらでも見つかるんです。だから、メニューはメニューで先に考えちゃう。その料理に対して、いまあるグラスワインのリストの中だったらどれが良さそうかな、と後から考える。そのほうが楽しいんです。」
シェフとして「正解の味」を追求する以上に、一人の「酒飲み目線」に立ち、その料理を最も輝かせる一杯を自身の経験と直感で選ぶ 。作りたいものを作り、そこに最高の相棒を添わせる。このライブ感のあるペアリングこそが、型にハマらない「秘密の台所」の自由な味を支えている。
また、お客の好みや楽しみ方に合わせて「これどうですか?」と挑戦的に出してくれるワインも魅力の一つだ。

カウンターという「実験場」で見せる独創性
間借りという制約の中で、彼は驚くほど細部にまで自身の「独創性」を滑り込ませている。
それは単なる料理の提供にとどまらない、五感を網羅する空間設計だ。
店に足を踏み入れ、席に着くと、まず彼はトレイに乗った数種類のお箸と箸置きを差し出してくれる。
「今日使うものを、自身で選んでください。」というわけだ。
この、食事の始まりに自ら道具を選ぶという小さな儀式が、客を日常から「秘密の台所」の世界観へと一気に引き込む。
「料理は器に乗って完成する」と語る通り、彼は器に対しても並々ならぬ情熱を注いでいる。
各地の作家のもとへ足を運び、自分の料理が最も美しく、そして「美味しそうに」見える一枚を厳選する。
この器への情熱は、今に始まったことではない。
「学生時代から器が大好きで、とにかく集めていたんです。引っ越しの際、手伝いに来た父親が僕の荷物を見て『こんなにお皿集めて、これから店でも開くのか?』と呆れ果てたほど、凄まじい量でした」
当時、父親が漏らしたその言葉は、時を経て現実のものとなった。「お父様はまさに預言者ですね」と笑い合う一幕もあったが、その頃から積み上げられた審美眼が、今のカウンターを彩っている。某高級スーパー時代に叩き込まれた「商品の魅せ方」と、学生時代からの「器への愛」この二つが融合し、一皿一皿に芸術的な説得力を与えているのだ。
「間借りのカウンターは、僕にとっての実験場なんです。お客さんの反応をダイレクトに感じながら、自分のこだわりをどこまで純度高く表現できるか。毎日が挑戦です。」と語る、彼の立つ台所はまるで最高の遊び場のようにも見えた。


某地域での新たな挑戦、そして北海道へ
現在、彼は「秘密の台所」を続けながら、個人の料理人の枠を超えたダイナミックなプロジェクトに携わっている。
きっかけは、店を訪れたある理事長夫妻との出会いだった。
彼の料理とワインへの深い造詣に惚れ込んだ夫妻は、某地域にて建設が進む、ジビエ解体施設とブルワリーを併設したレストランの監修を彼に依頼した。
「単なるアドバイザーではなく、メニューの考案からオペレーション、現場のスタッフ指導までを依頼して頂いた。来年4月には、北海道での新プロジェクトも動き出す予定。」
ここで発揮されているのが、彼の「プロデューサー」としての類まれな得意性だ。
バイヤーとして数千の食材を見極め、商品開発として数多のヒットを生んできた経験は、今や「空間そのものを設計する力」へと昇華されている。一つの厨房に固執せず、複数の拠点で料理やワインの魅力を多角的に形にする。
この「関わり方の多様さ」こそが、彼の真骨頂といえるだろう。
間借りで実力を証明し続けてきた結果、個人だけでなくたくさんの企業からさまざまなオファーがかかり始めている 。
まさに台所、料理とワインを武器に人生を切り拓いていく。
この某地域でのダイナミックな挑戦は、bacchanteとしてもぜひ追いかけていきたい。
建物が出来上がる過程から、現地の食材が彼の魔法でどう化けるのか。
数回にわたる追跡調査を通じて、その全貌を明らかにしていく予定だ 。
「自分の店」へ。描く理想の風景
多角的なプロジェクトに携わり、世界を股にかけながらも、彼の根底には「いつかは自分の実店舗を」という静かな熱意が流れ続けている。
「今の間借りスタイルも最高に面白いけれど、100%自分の思い通りに空間を、つまり『箱』そのものを作りたいという欲求はあります。いい物件さえあれば今すぐにでも。」
彼が求めているのは、単なる飲食店ではない。自分自身の哲学が細部まで宿った、まさに「究極の秘密の台所」だ。
間借り店舗で鍛え上げた「実践的マーケティングセンス」と、個人として守り抜く「独創的な世界観」
その両輪を回しながら、彼は次なる一歩を、より確実に、より自由に踏み出そうとしている。

結びに代えて:変化し続けることの本質
街を渡り、国を越え、複数のプロジェクトを同時並行で動かす店主。
彼の「秘密の台所」は、場所という概念を超えた一つのコミュニティになりつつある。
次回のインタビュー記事2では、いよいよ彼の思想の深層へ。
約5時間の対話の中で見えてきた、料理の細かなこだわり、そして「ワイン」への愛憎交じり合う本音について、さらに深く掘り下げていく。
(編集注) このインタビューは、店主が自ら選んだジュラのワインを飲みながら、スパイスの香りが立ち込めるカウンター越しに行われた。今も編集部の口の中には静かに、しかし力強く余韻が残っている。