バッカンテ、ウェブ版での復刊おめでとうございます!
この新シーズンの始まりの瞬間から、こうしてご一緒できることを、心よりうれしく思います。
全体に掲げるテーマは「良い酔い」だそうです。よよいのよい!
良い、ってなんでしょうか。
質が高い、上等、美しい、すばらしい、身分が高い、栄えている、すぐれている、効き目がある、満ち足りている、しあわせ、さしつかえない、ゆるせる。
なにがしが高い、という物理的だったり概念的だったりすることとよく紐付いていそうだけど、そうでもない意味を表すこともある。つまりGoodだったりHighだったりにはない、曖昧さをよしとするのが良いところですね。お?
では、酔いとは。
船酔い、車酔い、二日酔い。どうにもイメージの悪い言葉のほうがでてきます。心酔、陶酔あたりは、芸術やらなにやらに夢中になってそうでもあります。
そもそも酔という漢字の成り立ちはというと、酉を卒する、つまり酒を飲み干す、そのときの状態を表しているんだそうで。飲み干しちゃったらベロンベロンでしたよ、とそのまますぎる会意文字です。
良い酔い。
良い酒を飲めば良い酔いができるか。いえいえ、どんなに稀少で高額で特別なお酒だとしても、物音しない狭い暗い部屋のなか1人で一瓶飲み干そうものなら、きっと悪酔いするでしょう。
もちろんウルトラ肝臓の持ち主であれば、身体の生理現象として、そんなくらいじゃあ酔わないですわよ、ということもありえると思いますが、そうではなくて。
この逆は案外成立します、というのは面白いところじゃないでしょうか。誤解を招かぬよう、僕はそういうのも大好きなんです、という前置きをしたうえで敢えて「安酒」という言葉を使いますが、そういったものでも、愉快な仲間と、愛する恋人と、大切な友人と、飲めばそれは美酒にも勝る飲酒体験になり得るのです。
ちょっとだけ飲むならかえって体にいいんだよ!なんて言われていたのは一昔前。いまとなっては、どう考えても健康には悪いです、なんて言われている酒ですが、1万年以上も人類に寄り添ってくれていて、百薬の長だなんだと言われていることも確かです。
いまなくなってないなら、きっと1千年後はまだなくなってない。そうなればやっぱり人間たちは酔いについて考えていることでしょう。
付き合い方、さまざま。時と場合にもよるし、場所にもよる。あるいは主体であるわたしが、あなたが、どんな人なのか、どんな状態なのか。
そういったあまりにも多い変数のなかで成立していく、良い酔い。
そんな形のわからない、キーボードを叩いたそばからこぼれ落ちそうな話を、毎週してまいります。
わたしの良い酔いの話もしていきますが、誰かの良い酔いの話も聞いていきたい。
昭和14年(1939)に刊行された「日常礼法の心得」という書籍があります。
当時の文部省の礼法教授要項調査会の委員長を務めた、旧尾張徳川家の当代にあたる徳川義親によるものです。
その一節。
仮に酒席に於て、皆が酔払つて暴れてゐるような時に、自分一人が、きちん坐つてゐるといふようなことは寧ろ礼ではない。やはり、人が楽しく飲んでゐる時には自分も楽しく飲むがよい。人が暴れてゐる時は自分も暴れるがよい。併しその中にも礼儀といふものはちやんとある。
このあと、乱暴の中にも礼儀があるという話が続きます。
暴れ廻ることはいくら暴れても、心掛けのある人ならば決してそれが無作法にならない。 寝そべつて話してゐても、それが心得のある人ならば無作法に見えない。そこに礼といふものの測り知れない不思議さがあると思ふ。
コンプライアンスだなんだと騒がしい令和の世、暴れるのはさすがにどうかとは思うところがありますけれども、言っていることはなんとなくわかるような、そうでもないような。
ここに貯めていく文章たちも、90年後のみなさんが、へえ!とかいって読んでくれたりして
今週のわたしの良い酔い。
深夜までやってる町焼肉をみつけまして、恋人と、元ルームメイトと、遠方から来た友人と、じゅーじゅーのごくごくです。
生ビールを一杯と半分ほど飲み切ったところで、グラスのマッコリを頼んでジョッキにいれちゃう。牛肉のあぶらに、ビールの苦さ、タレの甘さに、マッコリのとろみ。これでよいよい!
